木村 章鼓(ドゥーラ)


Akiko KIMURA(きむら あきこ) 東京都出身。立教大学文学部卒業。エジンバラ大学大学院 医療人類学 修士号取得。立教大学在学中にイタリアの養護支援施設で1年間の住み込みボランティア体験。イタリア、オマーン、マレーシア、スコットランド、ロシア、アメリカ、イギリス、フランスと移り住み、各国でバースドゥーラとして女性支援を続けながら、妊娠・出産サポートのコミュニティを各地で立ち上げてきたバースアクティビスト。Doula UK 認定メンバーを経て、ドゥーラシップジャパン(DSJ)理事、Himemama Paris 代表、しあわせバース 〜妊娠・サポートネットワーク〜 代表。ヨーロピアン ドゥーラ ネットワーク(EDN)会員。パリ在住、2児の母。

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究極の志向体験に

寄り添い、産みつなぐ

木村章鼓さんに見つめられると、なんだかほっとする。何も隠す必要はない。何も恥ずかしがることはない。この人はきっとなにもかも分かってくれる。そして包み込んでくれる。そんな安心感がふわっと漂うような、そんな空間を生み出す能力を携えているように思ってしまう。

女性が経験する人生最大の事業の一つ、出産。命を授かるということ、この世に迎えるということ、その重大な役割を担う女性が抱える不安や悩みを共有し、寄り添ってくれるドゥーラという職業が彼女の生業であり、使命でもあるようだ。

古いモノが好き

2017年10月。22年ぶりに訪れたシャルトルの大聖堂で、パイプオルガンのコンサートを聴いた木村章鼓さんは涙が溢れだすのを押さえることができなかった。学生時には世界遺産であるシャルトルのバラ窓に感銘は受けたが、決してそこまで感動しなかった。むしろ学術的な見解で分析していたような気がする。しかし、様々な経験-特に出産や育児-を経て、知らぬうちに彼女の体内で改革が興っていたのだろう。それを実感するような、感動と衝撃の瞬間に、まるで打ちひしがれるように慟哭した。「なんて美しいのだろう…」。



小さい頃から、古いモノの魅力にとりつかれていた。記憶に残る、初めてもらった贈り物が、ナスカの地上絵が描かれた石。その他、世界中の遺跡や鉱石を写真で見るのが何よりも好きで、心が落ち着いた。「古いモノ」に宿る「用の美」。人が無意識のうちに使っていたものには、そのモノが秘める本来のエネルギーが顕れてくる。そこには、人の心が洗われてくるような美の姿がある。「お産もそうなんだと思うんです」、と木村さん。神様が人間という器にふっと命を吹き込む。それは裏が表になるような、「蕾が膨らみ、めくれあがってくるような神秘の体験」。呼吸で伸び縮む。開いて、閉じて。「それと同じで、古いモノに触れていると、目の前で見えているもの全て伸縮してきたんだなーって感じるんです」。二児の母でもある彼女は続けた。

「温故知新」をモットーに

高校生の時にシュリーマンの伝記にハマり、「信じていると、叶うんだ!」と確信した。「普通の女の子」とはちょっと違うことに関心のあった木村さんだが、大学に進学して何を学ぶか、と立ち止まった時に念頭に浮かんだのが「温故知新」の言葉だった。人々が育んできた文化や文明から学ぶことができる学科。目指したのは、立教大学文学部キリスト教学科。世界の宗教をも学べる広い視野にたった学科であった。世界に共存する様々な宗教を通して、人類学、民俗学、心理学、社会学、美術、そして音楽と総合的に学べるとあって、当時スタートしたばかりの一芸入試枠(小論文)で見事合格したのだった。



大学生活、新しいことばかりだった。故・皆川達夫教授、故・名取四郎教授に連れられて訪れたフランスとイタリアでは、宗教美術・宗教音楽の権威と言われる方々の解説を授かりながら、「神事に用いられる空間」に触れ、心が震えるような感動を覚えたと熱く語る。この時初めて訪れたシャルトル大聖堂で思ったこと、そして二十数年後に再度来た際に感じたこと。その差異が後の彼女の大きな原動力となったことは冒頭ですでに述べたように、この修学旅行が「古いものに触れることで芽生える新しい感情を大事にしたい」と考える一つのきっかけとなった。そして彼女とフランスを繋げるきっかけとなったのかもしれない…。


背伸びせず、誰もが気楽に談話するように参加できるワークショップを積極的に開催している



異国の地で出会った少女たち

大学三年生の時、キャンパスでICYE(INTERNATIONAL CULTURAL YOUTH EXCHANGE)のボランティア留学募集のチラシを国際部の掲示板で目にし応募した。面接を受け、運よく選考され、イタリア・ボローニャにある福祉施設に派遣された。出航に向けてイタリア語の特訓をしてはいたというものの、現地ではわからないことだらけで、戸惑うことは多々あった。それでも「毎日がとても充実していた」と木村さん。自閉症、ダウン症、筋ジストロフィー等様々な症状の人々、そして彼女らをケアする人々が暮らす施設で、共に生活を営んでいくうちに、徐々にコミュニケーションも取れるようになり、観察し考える心の余裕もできてきた。



次第に、入所している少女たちが“チャレンジド”となったのは、必ずしも遺伝だけが原因ではなく、母親の妊娠-出産時のプロセスの中で体験したトラブル(分娩障害)が関わるケースも存在する事実に気付かされたのだ。まだ20歳そこそこだった木村さんは、その時漠然と「お産って、思った以上に大変なことなんだな」と思ったというが、この経験がその後の彼女の道標となることを、この時の彼女はまだ知らない。




世界を旅する

帰国後、イタリア語スピーチコンテストに出場したことがきっかけで、(同コンテストの協賛企業だった)アリタリア航空に、客室乗務員として働かないか、と青田刈りされた。(ボローニャに留学していた一年は休学扱いだったため)当時まだ大学3年生の木村さんは面食らったが、「またボローニャに行きたい!子供たちに会いたい!」という強い想いがあった。もちろん迷いはあったが、大学側も後押しをしてくれ、両親もなんとか説得することができた。そしていざトレーニングの為にローマへ出立。晴れてアリタリア航空のヨーロッパ線で働くようになった。おかげでボローニャの子供たちに頻繁に会いに行けるようになったことはもちろんだが、休暇を利用して世界中を旅することができた。それは、木村さんのシュリーマンに憧れていた少女時代からの夢が現実になった、と言っても過言ではない。なぜなら、自らの足で世界の摩訶不思議-遺跡に赴き、学校では決して学びきれなかっただろう、その土地が持つエネルギーを直に感じることができたのだから。


アリタリア時代。



結婚後は仕事上、移動の多いパートナーと共に、様々な地で生活をした。そしてやっと日本に数年間帰国していた時に命を授かっていることが分かった。木村さんが、30歳の頃の出来事だった。



自分の声を聴く

未だかつて体験したことのないライフイベント。その時、イタリアで目の当たりにしたことを思い出した。どのように妊娠期間を過ごすか、どのようにお産をするかが、お腹の中の子供の状態に影響してくる。自分には責任があるのだ。




まず考えたのが、可能な限り自分らしいお産をするため、不必要な医療介入をできれば避けたい、ということだった。なるほど、WHOも警鐘しているように、一つのお産(妊娠-出産にかけて)に携わる医療関係者はあまりに多い。医療施設での出産を選択すると、どうしても複数の妊産婦を同時に診なければならないのだから、血圧のチェック、カルテへの記入、モニタリング、点滴管理、診察などのケアに追われてせわしなさがぬぐえないのは、仕方がないのかもしれない。しかし時にはスタッフが総入れ替えしてしまうことすらある施設でのお産。不安な妊婦にとって、それらのインパクトは大きい。知らない顔が増える度に、一から信頼関係を築いていかなければならない。心理的な負担が頻繁にあればあるほど、自分自身の感じ方と、お腹の子のことだけに集中できない可能性が高まるのだ。また、お産をよりスムーズに「安全に」すると謳われている薬品についても学んでいた。当時、今よりも一律に投与されていた陣痛促進剤が母子に負担を与える影響があることが明らかになってきていた時代だった。


木村さんが執筆した医学ジャーナルや翻訳された書籍、刊行物


イタリア生活のお陰で、以前からそう言った知識を備えていた木村さんだが、まだ知りたいもっと知りたい、とあらゆる本をむさぶり読んだ。「みんながそうしているからと言って、自分もそうしなければならないわけではない…」という気持ちがやがて芽生え、直感も手伝い、助産師と家庭内分娩をする、と心に決めたのだった。





最後に頼れるのは自分だけ


そもそもドゥーラとは、ギリシャ語で「女性の奴隷」という意味だ。または、産む女性に寄り添い援助する経験豊かな女性のことを指す。現在では出産前・出産中(通常陣痛が始まってから出産が終わるまで-バースドゥーラ)、産後早期を通して継続的な身体的、心理的なお産のサポート(産後ドゥーラ)ができる専門家、とされている。助産師との決定的な違いは、医療行為(血圧測定、体温測定、胎児心音測定、内診等)をしないことだ。バースドゥーラの仕事は、陣痛が始まったら基本的に出産までそばについて、その進行を見守ることである。また、妊娠期間中から、妊婦の精神的・身体的の支えとなり、産婦とその家族が安心してお産に集中できるようなサポートをする。産婦自らの「生み出す力」を出来る限り効果的に発揮できるよう尽力する、尊い存在だ。そのバースドゥーラが、ここにきてようやく一つの職業として世界的(特にイギリスとアメリカ)にも認知されてきている。「女性の奴隷」から「女性の支援者」へと社会的に今、その役割が再発見されてきているのだ。


自身の妊娠が判明し、木村さんが色々と調べ始めた頃、「ドゥーラ」はまだ日本にはいなかった。しかし、木村さんの出産を手伝ってくれた開業助産師は、国立病院で長年臨床を経験し独立したという素晴らしいケアをする「まさにドゥーラだった」。病院の機械的な診察台から飛び降りたかった、波動があわない。。。と、初めから感じていた木村さんに、その後、根気よく寄り添ってくれたかけがえのない女性だ。


 さまざまな人々に支えられ、自宅で挑んだ初産。そこで改めて気付いたことがあった。「この、痛みだけではない、むしろ快感すら感じる陣痛の境地で、赤ちゃんと直接対話できるのは、私だけなんだ」と。木村さんの世界観ががらりと変わった体験となった。


らくだの会の仲間たちと。



ドゥーラへの道


「ずっと子供ができなかった」6年間ほど、不妊治療などは一切せず、来るものなら来るだろう、来なければそれでも構わないと前向きに考えていた。一方で、「出産する環境」に対しての不安は、心のどこかにあったという。以前より趣味でスクラップしていた新聞の切り抜きの中に「ママチョイス-産院情報」の紹介記事を見つけた。なぜ産院によって、ここまで会陰切開率が違うのか?なぜ産院によって、母乳育児率がここまで違うのだろう?漠然とした疑問を抱いた木村さん。



お産とは「想像していたよりもずっと深く、もっと大きい太古の原風景に戻ったようだった」。その地平で得たものは、あまりにも大きかった。仲間と共有したいと考えた木村さんは、地元助産婦と子育てコミュニティー「どんぐりの会」を産後まもなく立ち上げる。多くの女性の出産談を聴きとっていると「ぽーんと宇宙に飛んだ」などといった言葉が出てくる。出産の癒す力に興味をもった木村さんは様々な女性の話を聴くため多くの時間を費やした。


木村さん宅で出産した新ママさんとべべちゃんと。



長女出産後には、ベビーマッサージやバース・エデュケーターの資格を取得し、子育てをこなしながら日本で活動。そして2006年、夫の転勤でスコットランドへ移住する。「お産による変容」について学んでみたかった木村さんは、これを機にエジンバラ大学の医療人類学の修士課程に通った。その一環で、元助産婦によるドゥーラ養成コースを受講し、バースドゥーラの資格を取得したのだった。


パリ自宅でのワークショップには、在パリの(プレ)ママたちが集う



自分の根っこの水やり


転勤の多い夫と共に様々な地で暮らしてきた。その都度、木村さんの持つ静かなパワー、そしてその魅力に惹きつけられるように、女性たちが集まった。その地その地の有志の方々に支えられ、ロンドンとヒューストンでは「らくだの親子」というコミュニティーを作り、自分らしく産むことについての発信を継続。パリで暮らすようになってからは、彼女のそれまでの活動に共鳴し、是非パリでも、と声をかけてくれた仲間と共に、2018年1月妊娠・出産サポートネットワークを産み「しあわせバース」と命名した。出産や育児で悩みを抱える在パリ日本人を対象に、毎月定期的にイベントを提供。当初、まだフランスでの経験がほとんど皆無の自分にどういう関わり方ができるのだろう、と悩むことは多々あったというが、木村さん、一緒に立ち上げた坂川奈緒子さんの元には、遠い異国で妊娠・出産・育児を経験するプレママたちが不定期に集った。


外出禁止令が敷かれていた期間は、オンラインアプリでコミュニティーと繋がっていれた。出産も育児も待ったなしだ。



彼女たちの抱えるささやかな悩みや喜びを共有しつつ、不安をひとつひとつ、自らの力で取り除いてもらうためのサポートを続ける。自分自身に対して自信をつけてもらって、人生最大のライフイベントに喜びをもって挑んでもらう。代替医療(救命救急を助ける西洋医学)-ホメオパシーや自然療養なども取り入れて…と聞くと、なんだか敷居が高そうだが、「産みつなぐ」ことを実感するために、皆で集い単純に「ワイワイする」ことも趣旨の一つ。「パリっていう土地柄か、美しいものを愛で合うことが大事だと実感します」と木村さん。その延長線で立ち上げた「Himemama Paris」では、様々なステージ(プレ-臨月-育児中)の女性の知的好奇心を刺激するイベントを次々と提案している。「パリを楽しみながら、自身の根っこにも水やりしてもらえたら」。(特に海外での)出産・育児に引き籠ってしまう母子は少なくないが、例えば、出産前に好きだったことを思い出してあらためて向き合えたり、まったく新しいことにチャレンジする気持ちは元気の元だと木村さんは語る。


バカンスで日本に帰省する際も、意欲的にレクチャーを開催。



究極の至高体験


継続ケアのできる助産婦にこそ、ドゥーラになってほしい、と木村さんは常々思っている。医療システムの効率化が進む中、そのような声は女性たちの間に絶えず上がっている。しかしなかなかそうならないが故、ドゥーラのニーズは高まる一方だ。「お産は静謐なもの。究極の至高体験」という認識に、国境はない。事実、各国の文献に同じようなことが古今東西書かれているように、出産体験とはユニバーサルなもので、カラダは知っているのだ。それまでの人生で経験したことをいったんリセットし、哺乳動物に戻りひたすら小さな命と向き合うのだ。



フランスでのドゥーラの認知度は低い。代替医療が徐々に見直されてはいるものの、「医学モデル」に沿ったお産が主流だ。世界有数の文化大国のフランスが、なぜこんなに医学にすがるのだろう。「権威的だな」と感じた木村さん。しかしそんな中で、「変えていこう!」と立ち上がるドゥーラたちと合流。フランスでドゥーラ協会が誕生したのは2006年。以来、協会は妊婦の精神的サポートを専門とする職業の必要性を訴え続けている。レクチャー、妊婦-助産師-ドゥーラとの出会いを促す交流会や、ケアに役立てるために、自身のスピリチュアリティ―を深める目的に特化したアトリエを意欲的に催している。


 心から嬉しそうに、そして楽しそうに、参加予定のアトリエについて語る木村さん。体験すること全てに全力を注ぎ、まるで呼吸をするように、自然に自身の根っこの水やりを実践している彼女のその前向きさが、関わる全ての女性を暖かく包み込む心のあり様を育んでいる。




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Remerciements:

Akiko KIMURA, 写真掲載を許可くださった(プレ)ママさんたち

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