平野 怜(寿司職人)
Satoshi HIRANO(ひらの さとし) 1980年生まれ。大阪府出身。甲南大学理学部経営理学科卒業。IT系の企業にプログラマーとして勤務。2007年、ワーホリビザで一年間オーストラリアに滞在。帰国後、システムエンジニアとして東京で7年ほど勤務するが退職。東京すしアカデミーに通い、寿司職人になる。2016年渡仏。パリの老舗日本食店「YOU遊」で勤務。
愛する人と同じ夢を見るために
海を渡り職を変える
特に海外に興味があったわけではない。ましてや暮らしてみたいなど思ってもいなかった。小さい時から憧れていたプログラマーとなり、これからどんどん仕事をしていきたいと考えていたのに…
平野怜さんの人生は、ある人との出会いを境に、全く違う軌道へと切り替えられた。愛する人の夢を叶えてあげたい。そのために、自身の歩む道を変えた彼とパリとの物語とは。
システムエンジニアになりたい
寿司は食するものであり、まさか自分が握る立場の人生を歩むはずがないと思っていた。少年時代の平野さんは、とっても内気だった。将来の夢は?と尋ねられると、小さな声で「電車の運転手」と答えていた。中学に上がると、「おそらく当時好きだった漫画の中に出てきていた」システムエンジニア、という職業のことを知る。コンピューターに興味を持つようになっていたし、まずはプログラマーになって、いずれはシステムエンジニアに、と思うようになった。そこで、「情報系の大学」の理学部経営理学科に進学。就職活動ではIT系一本に絞り、何十社もの会社の入社試験を受けるのだが、就職氷河期と言われた時代、なかなか内定をもらえないでいた。それでも、大阪の社員200名ほどの「小さな会社」に合格し、約4年ほどプログラマーとして勤務した。
彼女に連れられて海外へ
まどかさんとの出会いは大学生の頃。バイト先で知り合い、お付き合いするようになった。海外志向の高かった彼女は、特にフランスに憧れを抱いており、ワーホリを利用して滞在してみたいとよく口にしていた。一方の平野さんは、フランス語を習得しても役に立たないだろう、とまったく興味が持てなかった。尚且つ、当時フランスは、ワーホリの資格を得るために作文を提出しなければならない上に、年間の受け入れ人数にも限りがあり、難しいとされていた。それでも海外に行きたい!と粘る彼女の強い希望を叶えるため、ワーホリ対象の英語圏国の候補を探した結果、オーストラリアに行くことにしたのだった。
務めていた会社は退職し、ひとまずオーストラリア西岸部パースで3ヵ月ほど滞在し語学学校に通った後、シドニーで半年滞在。その間、引き続き語学学校に通いながら、回転寿司店でアルバイトをした。(但し、こちらではキッチンでの作業のみで、握らせてもらえる前に辞めてしまった)。そして再度パースに戻り、「払いの良かった」クリーニング店でアルバイトした後、日本に帰国した。
「彼女も楽しそうに過ごしていたし、海外熱も冷めたかな」と心のどこかで少しほっとしていたという平野さんだが、そんな彼の思惑はどこ吹く風か、彼女の海外への憧れはどんどんエスカレートしていったのだという。帰国後、東京で再就職することができたが、その間も常日頃から「フランスに行きたい」と口にする、そんな彼女の期待に応えることが、自分にはできるのだろうか、と焦った。
新婚旅行で念願のパリへ
やってみたら?
2011年、結婚。新婚旅行は念願のフランスへ。夢にまで見た憧れの街パリ。古い石造りの建物が連なる街並みを歩いて回り、ただただ美しいと思った。当然のようにまどかさんのフランスに対する憧れは更に膨らんだようだった。
オーストラリアから帰国して再就職した会社には、ドイツやイギリスにはあってもフランス支社はなく、あったとしても駐在職員を希望したところで、「エリート」ではない自分が行かせてもらえるとは思えなかった。フランスに興味がないことに変わりはなかったし、フランス語ができるわけでもない。ITの世界で他国に行くには、話されていることを理解できないとやっていけない。フランスに支社を持つ企業の求人広告を探すにも、そんな都合の良い職が転がっているはずがないように思えた。「スーパープログラマー程の技能がない限り、IT系の仕事では厳しいのかもしれない」。これで彼女も諦めてくれるだろうと思っていたそんなある日、テレビで寿司職人の専門学校が紹介されているのを見かけたのだった。
今や、日本食の代名詞とも言えるSUSHI。海外の都市には必ずと言っていいほど寿司屋があり、誰しもが気軽に食するファストフードの選択肢の一つとなっている。しかし、寿司職人の供給が追い付かず、人手不足に陥るケースも少なくないということだった。養成学校で知識・技を習得し、海外で活躍する卒業生たちがフィーチャーされているのを見て、彼女がふと口にしたことが、平野さんの人生を変える。「やってみたら?」。海外で働くことを前提に話を進める妻は更に言った。「私はなんとでもなる。でもあなたはどうするの?」。元社長秘書で、何でも器用にこなす妻が言うことは説得力があった。確かにそうだ、語学を必ずしも必要としない専門職を手につけれたら… だからと言って寿司職人とは… 戸惑う平野さんを後目に、早速願書を取り寄せ体験入学の手続きを取っていた。もちろん抵抗はした。今の仕事は気に入っているし、やりがいも見出している。それになぜ自分がフランスでという思いもある。だがその一方で、深夜残業や休日出勤で体調を崩すことが多々あった平野さんが、「今の仕事を一生は続けられない」と心底心配していたまどかさんを安心させたかった。そんな理由もあり、体験入学することを承諾したのだった。
まずは握ってみましょう
平野さんが体験入学した日本初の寿司職人養成専門学校、東京すしアカデミーでは、新卒ではなく主に社会人を対象に、「レシピ化された」寿司の作り方を指導している。習うのは「大将」ではなく「先生」。「こうしたら切りやすい」など、具体的に理論的に教えてくれる。積み重ねる経験によって得る感覚や技術を身に沁み込ませ修行をつむのではなく、一つ一つの手順を分解し解説した上で、合理的に習得するためのカリキュラムがある。短期間で修学できる安心感も背中を押した。体験入学では「握ってみましょう」と、前以てネタが用意されており、初心者でもすぐに握らせてもらえるようになっていた。
それまでの平野さんは、寿司職人は10代の頃から修行している人たちのみがなれるものだと思っていた。まさか、他業種の人が飛び込んでは入れる世界だとは考えてもみなかった。でも、「若くなくとも」勉強し修行すれば、できるようになるのかもしれない。また、そうして様々な地で活躍している職人がいると知り、魅力を感じた。それでもやはり不安だ。知識や技術を習得したからと言って、習い事で終わらすわけにはいかない。すぐに仕事としてモノにすることができるのか。つまり、生活していけるのか。また、自分の年齢やそれまでのIT界での実績をを考えると、どこかの店で一番下っ端から始めることに正直抵抗はある。学校が経営している寿司店で就職させてもらえるのか、もしくは同等の条件で仕事を斡旋してもらえるのか…「学校直営店やインターン制度を利用した実店舗での実践経験を積むことで、短期間での即戦力の寿司職人に育て上げます」と謳う当校で受講するのは自分と同じような境遇の人ばかりと知った。これなら自分もやっていけるかもしれない…
夫婦の新しい夢に向かう
IT系の仕事に就くのは学生時代からの夢だった。仕事は好きだったし、頑張って働いていたので職場でもかわいがってもらっていた。本当にやめていいのかな、と迷いはもちろんあった。でも、妻の夢を叶えてあげたい… 断腸の思いで退職を決意した平野さん。
上司には「一身上の都合で」と決まり文句を告げた。「これからどうするの?」と尋ねられ「妻の夢を叶えるため寿司職人になるんです」と答えた。「競合に行くのでは」と危惧していたであろう上司は、拍子抜けしたようだったが、「止めようがない」と確信したのか、笑って受理してくれた。せめて、携わっていたプロジェクトのきりの良いところで辞めようと思い、会社には半年ほど留まったのだが、あまりにもユニークな退職の動機に、面白がった営業がどんどん顧客に話していく。「できるようになったら握ってね。がんばってね」と声を掛けられた。
それまでお世話になった上司や同僚に対して最後まで誠実でいたい。その想いで精進し、任されていた仕事も最後まで全うすることができた。そうこうしているうちに、養成学校でかかる学費も貯まっていた。
「第二の人生」に必要な知識
2016年3月、35歳で東京すしアカデミーに入校。
当校には、短期集中コース(例えば、料理店で寿司を取り入れたいと考える人などが受講するコース)と、一年コースがあり、平野さんは後者を選択。じっくり学び次に生かす、いわゆる「第二の人生組」だ。週3日の受講日のうち、2日が実習に充てられた日で、米炊き、シャリ作り、魚捌き、そして握る・巻くと言った技術を学ぶ。残りの一日が座学。寿司の歴史、衛生管理、経営(店舗経営、アピールの仕方、写真の撮り方等)、その他実際築地の魚市場に赴き、季節の魚を見たり、選び方を教わったりと、充実していた。
当初から海外店舗勤務を意識しての入校だったため、日本的なやり方を学ぶ必要は感じなかった。その代わり、自由時間にはあまった具材で握るなど、復習・練習を重ねた。先生にとても丁寧に教えてもらえたし、同期には20代の若者が多く、良い刺激を受けることが多々あり、実り多い学生生活だった、と振り返る。
卒業試験の課題はずばり「3分間に20貫握る」。その合格基準は形ができているか、シャリのグラムが16-17gで収められているか。このいたって具体的な試験結果は、技術レベルを数字で示すことを可能にする。そこには就職活動の際にアピールしやすいという利点があった。猛特訓の結果、無事に合格し、ディプロムを手に卒業したのだった。
いざ、海外へ
卒業する半年ほど前から、転職サイトやMixBの求人案内を見て「海外」での就職活動を開始していた。見かける広告はほとんどがドイツで「狭き門なのかな」と落胆していたのだが、そんなある日、パリの老舗日本食店「YOU 遊」がビザサポート付きの求人案内を出しているのを発見する。早速履歴書を送ると、「良い返事」が返ってきた。パリでの多発テロの影響で、入る予定だった料理人が家族の反対を受け来れなくなった。そこで求人広告を出した、ということだった。スカイプ面接は問題なくパス。卒業を待って渡仏し、直面談、下見、研修ととんとん拍子で話は進んだ。一週間の研修後すぐにビザ申請をしてもらい、「3か月後にはおりるはずなので、すぐ動ける準備をしておいてください」と言われた。その間フルタイムでの寿司屋アルバイトを続け、腕が落ちてしまわないよう研鑽を積んだ。しかし、彼が最終的にビザを手にしたのは10か月後。この時初めて、「この国は、時間がかかる」と思ったのだとか。
満喫する余裕はない
2016末に渡仏。翌年1月「YOU 遊」での勤務を開始する。最初の担当場所は厨房。退職したばかりの料理長の代わりに入る形となった。その3-4か月後には板場を任せてもらえるようになるのだが、「みんなすぐにバカンスに出てしまう」ため、職場は常に人手不足。厨房で一人黙々前菜を作ったり調理補助をすることが多く、寿司職人なのに実際に握るのは週に一度程度だったのだとか。
そして2019年初夏、「YOU 遊」は同じサンタンヌ通りの数軒先に移転し、新装開店。平野さんが板場に立つ頻度も増えた。また、それまではカウンターテーブルが深かったので、客と接することはあまりなかったのだが、新店舗では距離がぐっと近くなったため。カウンター客とのコミュニケーション取りも新たな課題となった。「現地に行ってからどうせ習得できるもんだろう」と高を括って、フランスに来るまで語学の勉強は一切していなかった。「面接ではしゃべれなくても大丈夫、と言われていたのですが、今となってちゃんと勉強しておけばよかったと後悔しています」と苦笑い。
そんなこんなで、新しい職生活に慣れるのに精一杯で、パリの暮らしを満喫する余裕なんてどこにもなかった。一方彼女のほうは、フランス語の学校に通いながら、授業の合間にセーヌ川を散歩したり、街散策に明け暮れたりと楽しそうにしている。夜クタクタになった家に戻り、彼女の話を聞いていると、「はー」と余裕のない自分に対して思わず溜め息が出てしまうのだそう。それでも、アウトドア派の彼女に連れられ、一緒にルーブル美術館を周ったり、舞台を見に行ったりと、少しづつだが確実にパリで生活している自分を実感できるようになっていた。
彼女の夢を叶えてあげたい
IT出身の平野さんの思考回路は「理論的」。配合を数値化したい、合理的にレシピ化したい願望が常にあることを否定することができない。「この感覚で」と言った料理人の勘の様なものを持てる日が来るのか、全く同じものをつくることができるようになるのか… 不安は隠せない。一貫の量(約16グラム)も、握りの感覚で分かるようにはやっとなってきたが、「味見は常にしないといけない。プロの職人さんでも必ずされていることですが、自分は尚更」で、寿司職人として働くようになってからは特にそう思うようになった。
様子見に、そして平野さんが握る寿司を食するため、「You 遊」を訪れることもあるというまどかさん。IT時代の頃から、仕事に打ち込むタイプの平野さんの体調を常々気遣ってくれていた。「そんなに無理して大丈夫なの?」。拘束時間が長く、不在の時が多かったため、「寂しい思いをさせていたんです」。IT会社を辞める数年前から、それまで妻に任せきりだった料理も「少しづつ覚えさせられていた」と思い出し笑う。「少しづつ敷居を低くして、できるもんだと思わせるんです。絶賛し必ず完食してくれるので、どんどんやる気が出てきて。完全に踊らされていましたね」と言いつつ、「彼女は僕の新しい可能性や世界をどんどん広げていってくれる人なんです」とちょっと恥ずかしそうに言い加えた。
板場で黙々と寿司を握る姿がすっかり板についてきた平野さんに尋ねてみる。
「これからもずっとパリで生活していく覚悟はあるのですか」。
ITに未練がないと言ったら嘘になる。これからもずっと寿司職人として生きていくのか、腹を括ったのかと問われれば戸惑ってしまう。そして小さな溜め息をついた。
「彼女が、ニューヨークもいいね、って言ってるんです」。
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レストラン YOU 遊
RESTAURANT YOU
56 Rue Sainte-Anne, 75001 Paris, France
電話番号 +33 1 42 60 55 50
営業時間 12:00–14:30 19:00–22:30
無休
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Remerciements:
Satoshi Hirano, Restaurant YOU
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