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原田 裕佳子(専業主婦)

Yukako Harada(はらだ ゆかこ) 京都府生まれ。同志社女子大学ピアノ科卒業。1998年渡仏。パリ・エコール・ノルマル・ド・ミュージック、ピアノ科で高等教育課程の資格を取得。2011年、「おちびちゃんリトミック」を開設。

 

異国の地で育つ子供たちのための

「一時間幼稚園」

 「ここは日本?」と思わず錯覚を起こしてしまいそうなその空間に、日本の童謡を口ずさむ子供たちの声が響き渡る。ピアノを語り弾きながら、子供たちを見渡す原田裕佳子さんは、音楽学生としてパリを訪れた。パリで結婚、出産を経験し、育児をしながら、いつしかかつでの夢だった「幼稚園の先生」になっていた。月に数時間だけ。

パリに住んでみたい

 原田裕佳子さんは、4歳の頃にピアノを習い始めた。教育熱心な母親は、鍵盤に洋裁用のマチ棒をずらりと並べて貼り、「手がべちゃっとならないように」意識しながら毎日のピアノレッスンに挑んでいた少女時代。正直、幾度も「やめたい」と思ったが、「怖くて、言い出せなかった」と今では笑い話にしている。大学でも、音楽科を専攻。二十歳の夏に、大学から交換留学という形でイギリスに一か月滞在し、その間ふらりとパリを訪れた。セーヌ川を眺めながら、「ここに住みたい」とふと思ったのを、今でも鮮明に覚えているという。

 いつかはパリに留学したいと考え、日本に帰国してからは、留学費用を稼ぐためにアルバイトに明け暮れた。日仏学館へ通い、パリの学校を調べ、目当ての先生にテープと手紙を送った。すると、返事が来た。試験も何もなく、直接その先生のお世話になるという形での、パリ留学。学科を卒業した1998年の夏に、パリに渡った。


99年夏(渡仏一年後の恩師のスタージュにて

恋に落ちて

 名門エコール・ノルマル音楽院に入学した原田さんは、親や親戚からの仕送りに助けられながら、3年間勤勉に勉学に励むのだが、そんな真面目な彼女の日常を揺さぶるような事件が起こる。恋に落ちたのだ。(後の夫となる)日本人料理人の彼とお付き合いするうちに、音楽に集中できなくなってしまった。もちろん、両親には反対され、一度日本に帰国せざるを得なくなるのだが、「絶対に戻ってやる!」と、情熱と根性でお金を貯め、9か月後見事に再度パリに戻ってくる。両親の反対を押し切ってでも、パリ行きを断行したその背景には、それまで日本で当たり前だと思っていた、上下関係やお付き合いなどから解放され、「周りに気を遣うことなく」生きることができるパリでの生活を味わってしまったこともあったのか。日本での就職もしきりに勧められはしたが、そんな気は起るはずもなかった。解放感からか、「自分がどういう人間なのかも、分かるようになった」と噛みしめる。

 パリに再渡仏を果たしてからは、たくさんの出会いと周囲の人々に助けられながら、レストラン給士、ベビーシッター、家事手伝い、ピアノの先生等、様々なアルバイトで小遣い稼ぎを続けた。そして2005年冬には日本で、2006年にはパリで結婚。2008年には、長男を出産した。


お友達を作ってあげたい

 ドラマチックな展開で、音楽科志望の女学生から一家庭の主婦への転換を果たした原田さん。しかし、子育てをする過程であることに気づく。3歳になるまで、息子が一言も言葉を発さないのだ。もしかしたら自閉症なのかもしれない、とノイローゼに陥るところまでいったが、「一歳年下に考えるようにすると、楽になった」と語る。一人っ子だからか、テレビを見たり、一人遊びが多い。だからと言って、子供を一緒に遊ばせるために、近所のフランス人家庭と交友するのも気が引ける。「楽しいことがいっぱいあるはずなのに…」。息子に日本人のお友達を作ってあげたい。そう考え始めた原田さんは、MIXIで募集をかけた。


「一緒にリトミックをやりませんか?」




 「おちびちゃんリトミック」の最初の参加者は、息子と同年代の子供たち。二週間に一度集まり、いつの間にかつながりができてきた。子供のことはもちろんだが、原田さんにとって「ママ友」が増えたことは、何よりも嬉しいことだった。海外で生活するということ。出産を経験し、日本とは全く異なる「子育て観」を持つ地で、子供を育てるということ。海外で生活しながらも、日本人という自覚を持って大きくなってほしい、と切に願うママ友たちとの共通点はたくさんあり、共に悩み、笑い合える仲間が増えたことは大変心強かっただろう。お母さんどうしのお付き合いが深まるうちに、子供たちも頻繁に共に遊ぶようになった。そして気づけば、息子もよく笑い、楽しそうに話すようになっていた。




自己流リトミック

 日本でもよく耳にする「リトミック」という言葉は、スイスの作曲家ダルクローズが提唱した音楽教育法で、簡略すると、耳だけではなく身体全体を使って音楽を体感することにより、子どもの社会性や創造力、表現力なども育てる、というもの。フランス語では一般的にEVEIL MUSICAL(エヴェイユ・ミュージカル-直訳すると、音楽の目覚め)と呼ばれている。

 原田さんは、ダクローズの教育法を学んだわけではない。彼女にとっての「リトミック」の原点は幼少期、音楽教室で小さな棒を持って行っていたリズム打ち。現在、日本で流行している「リトミック」とは「どこか違う」かもしれないが、彼女自身が実践してきたものをいつか子供たちに教えたい、と漠然と考えるようになっていた。息子が幼稚園年中の頃から通うようになったコンセルバトワールで、原田さんがイメージしていたリトミックを教えていると知り、見学に行くと、「音程の真似っこや、簡単な楽器を使って叩く、撫でる行動(スタッカートとレガート)」に思わず一目惚れしてしまったのだとか。こうして、良いと思ったことはどんどん取り入れながら、彼女独自のものを提案することにしたのだった。

一時間幼稚園

 小さい頃から、「お世話をすることが好きだった」原田さんは、看護婦か幼稚園の先生になるのが夢だった。両親に相談すると、もっと大きな夢を見た方がいい、と諭されたこともあって、音楽の道に進んだのだという。

 大学時代には、教育実習生として京都府内の中学校で、やんちゃな生徒たちと向き合った授業にスケボーを持参してくる生徒もいたのだが、その頃から「やる気スイッチを見つけることが得意」だった原田さんは、その生徒がギターが得意と知り、「今度はスケボーの代わりにギターを持ってきてよ」と声をかけてみた。それまでは手に負えないと思われていたその生徒が演奏し始めると、彼に対する皆の視線が一瞬のうちに変わった。同時に、一生懸命演奏する彼の眼差しまでもがきらきらした。原田さんにとって、「教えることの素晴らしさ」を実感した貴重な思い出だ。




 パリ・エコール・ノルマル音楽院では、高等教育課程のディプロマを取得。いわゆる「ピアノの先生」になったわけではないけれど、ピアノを弾きながら子供たちに語りかけ、共に歌い、様々なテンポや音色に合わせながら体を動かす子供たちを優しく見守る原田さんは、幼稚園の先生みたいだ。「おちびちゃんリトミック」では、「幼稚園にいるような一時間を過ごせるような教室にしたかったんですよ」と語る。まずは、ごあいさつのうた。そして、てあそびのうた。指先を使う工作。年齢に合わせておえかき、ねんど、そしてカルタ遊びなどをした後、「なるべくリズムの良い文句のある」本読み。最後に、音に合わせて体を動かす。「このメロディーを色に例えたら、なんだろうねぇ?」。音符に興味を持つようになると、「動物の声でリズムをとってみようか」…などと、子供たちが楽しく思えるようなことを次々と提案していく。簡単なことばかりなのかもしれない。それでも初めての時には、恥ずかしさもあってか、なかなか参加したがらない子供が多かったのが、段々と楽しそうにはしゃぐようになってくれる。体が覚えてくるようになってくる。「楽しそうにしているのを見るだけで、幸せな気持ちになるんです」。


海外での日本語教育

 おちびちゃんリトミックには「歌が好き」「音を聞かせると喜ぶ」といった理由で、参加する子供たちが多いが、そのほとんどがハーフなのだとか。海外で生活するにあたって、日本語を身に着けさせることは、親にとって大きな課題だ。現地の学校にあがると必然的にフランス語は話せるようになるが、日本語はどうだろう。せっかくだから、完璧なバイリンガルにしてあげたい。でも、家庭内で日本語を話すだけでは、限界がある。大きくなったら、自分の選択で「日本語はやりたくない」と思うようになってしまうかもしれない。親として、ある程度のレールは敷いてあげたい、と考えてしまう。原田家の場合、両親とも日本人だが、それでもやはり不安になってしまうというのだから、ハーフの子を持つ親の苦悩は尽きない。どうやって息子に楽しく日本語を学んでもらえるのだろうか、と自問するうちに、同じく日本語を学ぶお友達を作ってあげたい、日本語教室もやってみよう、と思いついたのだった。




 「話す、読むはできても、書くことがまだまだ難しい年の子供たちに、文字を書く楽しさもしってもらいたかったんです」。日本から取り寄せたドリルをコピーし、6Bの鉛筆で線を書くことから始めた。当初は、15分椅子に座って使うに向かうのがやっとだったのが、回を重ねるごとに、もっと長い間、きっちり鉛筆を持って用紙に向かう子供たちの姿に驚かされた。文字を形から覚える子。あいうえお順に覚える子。形の似ている文字を覚える子。鏡文字になってしまう子。それぞれの個性が、日本語との向き合い方にも表れていた。最後の授業でひらがなテストをしてみると、想像以上に書けるようになっていて、原田さんも子供たちも、そんな「できたこと」や「できるようになったこと」を噛みしめ、一緒に喜び合うことができた。「子供たちが日本語でお話している姿を見るだけで、とっても報われたんです」。




出来る範囲で、ささやかに

 子供たちにリトミックや日本語を教えるために使う教材を、全て日本から取り寄せるのは困難だが、身近なものを使った道具を手作りしたり、雑誌やネットで見て「いいな」と思ったことを自由に取り入れるようにし、子供たちにもっともっと楽しんでもらえるための努力を惜しまない。「自分流に工夫していくのがとっても楽しくて…」。子供たちが「魔法の箱」と面白そうに覗く大きな箱は、そんな遊び道具がいっぱい詰まっている。読み聞かせに使う絵本のシリーズも、「探しています。譲ってください」と広告に載せると、帰国のため手放すという人が見つかり、たくさん手に入れることができた。


 無理はせず、できる範囲でコツコツとやっていくこと。それが原田さんのスタンスであり、ポリシーでもあるようだ。フランス人の子供も対象にしたリトミック教室を展開してみたら?とよく勧められるが、なんだかピンと来ない。「フランス語で子供たちに接するのがこわい、っていうのもあるかもしれないですね」。そもそも、「事業を展開するなんてことは夢にも思っていない」。「商売にしたくないんです。純粋に、子供と遊ぶのが楽しい。その気持ちを大切にしたい。私ができることで、子供たちのなにかのお手伝いが出来たらいいな。幼稚園に上がる前の予行練習になったらいいな。お母さんたちの憩いの間を作れたらいいな。ただ、それだけの様な気がするんです」。



 両親、親戚、夫、友人…たくさんの人々に守られ、支えられ、常に感謝の気持ちを忘れないようにしながら、パリでの生活を営んでいる原田さん。パリ在住歴も長くなってきた現在、自分も誰かの助けになることができたら、と思っている。


 最初はママのスカート後ろに隠れていた子供たちも、いつの間にか「先生」と呼んでくれるようになっている。一時間だけ、かつての夢だった「幼稚園の先生」になれる原田さんは、まるで日本にいるような錯覚を起こしてしまう居間で、ピアノを語り弾きながら、その幸せを噛みしめている。






おちびちゃんリトミック

詳しくは下記のFBページより。

Remerciements:

Yukako Harada

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