#ParisMonogatari 

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© 2016 by エフ・エム・エス / Emi CHATEAU-HIRASAWA

源 利華(女優/モデル)

 Lika Minamoto(みなもと りか) 東京生まれ、横浜育ち。大学在学中、芸能活動を開始。卒業後、商社に入社するも7か月で退職した後、渡仏。数々の広告キャンペーンを飾る。2008年、初の主演映画「陰獣」が公開される。

 

 

 

その瞬間を精一杯生きる

自分で取捨選択する人生

 

 

 漆黒の長い髪に、透き通るような肌。そして切れ長の魅惑的な眼差し。西洋人が憧れる、まるで絵に描いたようなアジアン・ビューティーの源利華さん。その可憐な容姿とはうらはらに、話始めると豪快に笑い、竹を割ったような男前な性格が顕著に表れてくる。生き残ることが難しいとされる女優兼モデル業で、生き延びてきた彼女が活躍する舞台。それは、自分の生活を自分で決断できる自由な街、パリだった。

 


 

ベネチア国際映画祭のレッドカーペットにて。初主演作品「陰獣」がノミネートされた。

 

 

 

運命の出会い

 

  いわゆる学歴主義の、大変厳格な家庭で生まれ育った源利華さん。厳しい規則に縛られ、幼いながらも、息苦しい環境に違和感を持っていた彼女だが、中学一年生の頃に転機が訪れる。それは、ある映画との出会いだった。

 

 「いまを生きる」。

名門校に赴任してきた型破りな教師が、「自分に正直に生きることの素晴らしさ」を教えていくことによって、生徒たちが規則や親の考えに縛られることなく生きていく重要性を学び、育っていく様を描く名作だ。

 

 自由に自分の意見を言うということ。彼女にとって全くの未知のことであり、その新しい概念に衝撃を受けた。あまりにも強烈すぎて、止まりなく湧き上がってくるありとあらゆる感情を、原稿用紙に書き留めたほどだった。そして、この映画は彼女にとって、聖書のような存在となる。若干12歳の少女にして早熟な、と思ってしまうかもしれない。しかし、その感動は彼女にとって大きな原動力となり、この日を境に「将来は私も映画の仕事に就く」と、思うようになる。  

 

 

オスカーノミネート経歴のある、映画、INJU(陰獣)のバーベット・シュローデール監督と。 

 

 

 

「大人になるまで」の約束

 

  自分の夢を思い描くようになった源さんだったが、映画はあくまでも「暇つぶし」であり、仕事にはならない、と見なす厳しい父親がすぐに許してくれるはずはなく、「大学に入るまで」「大人になるまで」、芸能活動は一切禁じられた。だからと言って、すぐに諦められるわけでもない。今すぐの活動が無理にしても、毎日一本映画を観て、映画の世界を広げていくことにした。ありとあらゆる映画を見、意見・感想をノートに書き留めた。高校時代には友人と共に映画研究会を立ち上げ、校内で大スクリーンでの上映会も頻繁に行った。

 映画の理解を深めるために必要なことは、今のうちからしておこうと決め、歴史、地理、宗教、語学を勉強。幼稚園から大学までプロテスタントの学校に通ったが、信者ではない故、聖書の授業が苦痛なこともあった。しかし、キリスト教の教育を受けたことによって、西洋文化を理解し、美術を深く味わうこともできるようになったのではないか、と振り返る。

 「芸術系」の大学受験も断念した彼女は、「普通の」大学に進学し、映画配給、買い付けの仕事をする際に役にたつかもと考え、ドイツ語を第一言語、スペイン語を第二外国語に選択。父親との、世間に名の通る大学には進学するという約束を果たしてからは、大学入学と同時に芸能事務所に入所し、「ちょこちょこ」仕事をするようになった。しかし、「タレント」を「商品」として売り込む日本の芸能事務所は、想像していたものとは全く異なった。お嬢様というテーマを決められ、そのイメージに合わせて、商品として作り上げて行く。ルールと規制の多い、商品と扱われるタレント業。

「これは私がしたかったことではない」。

 

映画Final RECIPE のバンコク撮影でのセット写真。サンダンスチャンネルのRECTIFYが好評だったAden Young, Mad Tvで知られるコメディアンのbobby lee, 韓国のポップアイドルグループsuper jrのHenry。此処まで共演者と仲良くなることは珍しく、最終日には現場で抱き合って泣いたのだとか。

 

 

経済的に独立する

 

 俳優として一人立ちするために、アクティングスクールに登録し本格的に演劇を学ぶようになった。レッスンを始めて数ヶ月後、彼女の才能を見出し、俳優として扱ってくれた講師に、「10年後もこの仕事を続けていく覚悟はあるのか」と問われ、「はい」と答えたものの、心の中では、大学を卒業するまでに実になっていなかったら、やめようと思っていたという。それは、とてもじゃ無いけれど、不安定な給料で生活をする自信はなかったから。また、父親とも「俳優として生活していけないのなら、諦める」と約束していた源さんは、卒業後には会社員として、日本屈指の巨大総合商社に入社する。

 父親はもちろん喜び、誰からも羨ましがられた就職先だった。それでも「興味がなかったら向上心ももてない。豚に真珠」とばっさり。数か月経ったある日、なぜか無性に泣けてきたという彼女は、トイレに駆け込み、自分に問った。

 

 これでいいの?

 

 

僅か7か月の勤務の末、退職。気持ちを入れ替えるためにも、海外に旅行に出ることにした。自分の貯金で行くからと宣言し、予め父親に「NOと言わせない環境」を作っておいたのも、自分のやりたいことを全うするには、経済的に独立していなくてはいけない、と確信していたから。「自由は勝ち取るもの。自分の好きなように生きるためには、基礎から自分で作り上げなくてはいけないのです」。

 

 

羽を伸ばしに海外へ

 

  大学時代にも、頻繁に海外旅行を楽しんではいた。当時の渡航先はアメリカが多かったが、「ヨーロッパのことも勉強しなければ」と、パリに訪れたこともあったのだとか。退職後、三か月間の長期旅行先に選んだのは、ヨーロッパ。「特に理由はなかった」と言うが、その選択は、後の源さんの芸能人生を決定づけるものとなる。

 パリで一か月滞在している間に受けた映画のオーディションに、見事選ばれたのだ。ビザが下りるのに時間がかかったため、引き受けることは不可能となってしまったが、せっかく労働許可証を手にしたので、「これも何かのご縁だし、四季を通して街が変わりゆく様を見てみたい」と、一年間だけ滞在することにした。

 パリに特別の思い入れがあったわけではない。フランス映画にも特段興味があったわけではないし、大学でフランス語を選択していたわけでもない。しかし、やはり源さんはパリと「縁」があるのではないかと思えてしまう。

 

リラックスしながら未知の面を引き出してくれる、源さんが信頼を寄せるな写真家Gilles-Marie Zimmermannとイスラエルの病院へのチャリティーのために撮影された一枚。

 

 

 パリに着いてすぐにモデル事務所に所属し、一つ目に受けた大きなTVCM広告の仕事のオーデョションに見事選ばれる。一つの仕事が、別の仕事に繋がり、あっという間に売れっ子モデルとして活躍することに。良い仕事に恵まれ、様々な国を旅し、自分の好きな生活ができるくらいの収入もあり、充実した一年を過ごした。ビザが切れる頃になると、「フランス語さえ話せるようになったら、フランスで俳優業もできるかもしれない。ここで、昔からの夢を叶えることができるかもしれない」と考え、語学学校に登録。映画館に足繁く通い、必死で聞き取ることで、フランス語も日に日に上達して行った。

 

 

 

 

毎日がオーディション

 

  フランスで俳優事務所に所属する際には、履歴書、写真、そして(主に日本の芸能活動期間の)映像などを提出し、仕事を受ける体制を作ったが、「日本人」(もしくは東洋人)と言う特定の役柄しか受けることができない。また、言葉の壁もあり、活躍の場を広げていくことは難しく、自分はどこまでこの世界で生きていけるのか、と考えずにはいられない。

 彼女が初めて主演を務めた仏映画「陰獣」(2008年公開)には、オーディションに合格後、キャストが確定するまで延べ18か月間の待機期間を強いられたが、「他の人ではだめだ」と熱望する監督が押し切り、製作に至った。妖艶な芸妓を演じ、圧倒的な存在感で魅せた源さん。難しいシーンに挑戦する度に得る達成感、自分の限界を広げていく挑戦感、そして役を通して新たな自分を発見し、得られる浄化作用。この“人間としての旅=voyage”を続けたいという思いが一層強くなった。

 

映画「陰獣」で、祇園の芸妓を演じた際には、祇園で舞の名手と名高いまちこ先生から手ほどきを受けた。祇園演舞学校で、先生が現役時代に纏っていた絹の着物を着て個人レッスンを受けるという貴重な経験をしたのだとか。更に80歳を過ぎられた元祇園の芸妓さんが経営する民宿に滞在し、戦後の京都、現役時代の思い出話を毎晩聞かせてもらったのだとか。

 

 

 小さい頃から抱いていた「一回は大作の主演を張りたい」という念願を果たしたものの、その一方では、小さな役を受けながら、競争率の激しい映画業界で長く生き続ける方が、実はよっぽど難しいとも痛感する。

「毎日がオーディション」な俳優業。渡される台本を元に役を作る過程の中には、「自分」という素材をベースに過去の経験、想像力、知識といった扉を開けてはひっぱりだし、調合して作り上げていくという大変パーソナルな作業がある。それを毎回最高の状態で、常にベストの演技を披露しなくてはいけない。また、役を勝ち取るには演技力だけではなく、容姿、知名度、他にも業界の政治的な、彼女の努力だけではどうにもならない要因も複雑に入り組んでくる。だからこそ、本業(演技)を理由に選ばれないということがないように、常に努力を重ねなければならないのだ。

 

アジアのスーパースター、ミシェル・ヨーが主演、プロデュースを兼ねた映画Final RECIPE、のバンコク撮影でのセット内で。ミシェルは共演者一人一人を気にかけ、スターはどう振る舞うべきかを理解し、身をもって実践するプロフェッショナルな人で、深く感銘を受けた

 

 

できることを最大限に

 

  「結果を待つのも、気が遠くなるくらい辛抱のいるものなんですよ」と笑う源さん。女優、と聞いて想像する、華やかなイメージからかけ離れた現実だ。SNSなどで、自身の私生活をも売り物にしながら意欲的に自己PRを行い、仕事獲得につなげていく努力をする人が多いが、それは「自分には向いていない」と潔く切ることができるのは、「私は(日本でいう)タレントではない。アーチストとしての誇りを持っていたい」という揺るがない想いがあるから。自分らしさを見失うことなく、コツコツと作り上げていく役と共に成長していきたい、と切に願う。「自分の作品の中で生きたいだけ」なのだから。

 KENZOの新たなキャンペーンモデルを検討していた関係者が、源さんが精魂込めて取り組んだ、映画「陰獣」を観て、声をかけてくれたことがきっかけで、「モデルの勲章」とされる香水広告も飾った。セクシーでも誘惑的でもなく、軽やかで清潔感溢れるこの広告は、小さい子供から老人まで幅広く愛され、初めて誇りに思えたモデルの仕事だったのだとか。

 

この広告の成功により、ケンゾーフラワー香水はフランスで、シャネルのno.5,ディオールのj'adoreに続いて第3番目の売り上げになった。何パターンもある写真の中で、顔に一切修正が入っていないこの写真は特にお気に入り。

 

 

 「俳優業で生きていくのは難しい。でもありがたいことに、広告の仕事は常にいただけている。不安定な職種なのに、きちんと生活できている。とってもラッキーだと思うんです」。しかし「運」だけではなく、そこにはきちんと彼女の意思も潜んでいる。「できないこと、興味のないことには無駄な時間とエネルギーを注がない。その分、できることは精一杯、最大限やる」。

 

 撮影前日にはきちんと肌を手入れして、ベストコンディションで挑む。撮影日には時間を守り、肌色の下着を身に着け、撮影後には、使用した衣装をたたむ。クライアントの意見にはオープンに対応し、スタッフには敬意を持って接する。とてもささやかなことばかりなのかもしれない。それでも、彼女の「プロ意識」は重宝され、使い捨てられて当たり前の世界でありながらも、「また一緒に仕事をしたい」と彼女の元を訪れる監督、そしてクライアントと信頼関係を築き上げていった。

 先日、大手化粧品会社の広告の現場で、久々に顔を合した同業者たちと「よく生き残ってこれたよね」と談話するシーンがあったという。10-20代で香水・下着などのキャンペーンで一世を風靡したモデルたちが、ある日を境にぱたっと消えてしまう恐ろしい業界。以前は、危機感を持ってオーディションを競い合ってきたライバルたちだが、今では、入れ替わりの激しい業界で長年仕事をし続けてきた同胞として、敬意を持って接することができる。生き延びてきた者のみが誇れる、勲章、のようだ。

 

 

Lucien-Jean Baptist 監督の映画 30 COULEUR で共演した, フランス映画界でも多く活躍するスペイン人女優、ロッシ・デ・パルマと。「とてもフレンドリーで思いやりがあり、本当に可愛がってもらいました。まるで向日葵のように元気で、燦々とした太陽のもとで輝く人」

 

 

 

NOと言える、自由

 

  東日本大震災直後に、サンジェルマンのギャラリーでチャリティーバザールを共同主催した。その際、自分がそれまでいかに「必要のないもの」と共に暮らしていたのかを認識し、「モノと暮らすのはもうやめよう」と決意。それは、人間関係にも該当するものだと気付いた。仕事していく上でも、人付き合いは大切。しかし、生きていく上でそれがストレスの源となるのであれば、無理な付き合いはせずに、その時間を「好きな人」「刺激される人」「学びたい人」と費やしたい。媚びることなく、自分の「好き」と真正面から向き合っていくことで、自分にできることを最大限努力していくことで、人生が豊かになっていくことを実感した。

 

 

 生まれ育った日本で培い大事にしてきた、和を重んじる精神も、自己主張の強いフランス人と共に生活する中で、常に生き残りを賭けて自分を押し出していかなければいけない業界では、日本にいたときの様に実践していくのは難しい。程よいバランスを追求するうちに、自分の意見を自分の言葉で伝えていく面白さを発見した。「建前とか気にせずに、どんどん自分で決めていく。フランスに来てから「NO」と言うのが上手くなったんですよ」。

 自由を獲得した少女が発見した新しい世界は、彼女を魅了した映画「いまを生きる」の生徒たちが見たものと重なってみえる。

 

 

映画という情熱

 

  相手の心を捉えて離さないその強い眼差しも、ストレートに的を射る物言いも、時にふわっと緩む。

 潔く、強く、そして美しく。それだけで、ここまでやってこれたのではない。

 彼女は認識している。「そもそも、自分に絶対の自信があったわけではない。特別な取り柄があったわけではない」と。映画の仕事をしたいと思い立った頃も、パリに来たばかりの頃も、何をどうすればよいのか分からないことだらけ。反対する人はいても、背中を押してくれる人はいない。業界で働く知り合いもいなければ、適切なアドバイスをしてくれる人もいず、いつも不安だらけだった。だからこそ、頼れる人がいないからこそ、自分が強くならなければいけないと痛感した。教えてくれる人がいないのならば、自分で調べ、経験し、進んででも失敗し学ぼうと、もがいた。簡単なことなんて、何一つなかった。そんな彼女を唯一支えたのが、映画に対する情熱だった。遠回りばかりで、泣いたことも、嫌な思いをしたことも、星の数ほどあったけれど、映像という方法を通して表現したいという欲望を、諦めることはできなかった。

 

映画「陰獣」では、セザール、カンヌも受賞のフランスのスター、ブノワ・マジメルと共主演。「彼は自分の経験を見せびらかすことなく、私を信じてくれただずっと静かに私の演技を見ていた。うまく演じられず迷ってしまうとすぐに手を差し出してくれた。見ていた、のではなく、ずっと見守られていた、とその時わかりました。とにかく繊細で共演者思いで、彼には頭が上がりません」。

 

 

 2年半ほど、NYにベースを移し、脚本の勉強をした。短編、長編、コメディー、TVシリーズ… やる気さえあればなんでも勉強できる。エネルギーに溢れたNYでは、パリでの様に「文句を言う暇はない」。そんな時間があるのだったら、スキルを磨け、と叱咤されているようで、背筋が伸びた。

 それでも、源さんはパリに戻ってきた。「NYは勉強するには最高だけれど、暮らすのはやっぱりパリなんです」。今でも、常に良い仕事を与えてくれる街・パリ。毎月数回は出張でヨーロッパ各地に赴き、時には行こうとも思わなかった都市での撮影の仕事も入ってくる。彼女が培ってきたものは、パリにあるのだ。「これだけ多くのチャンスと出会いをくれた街には感謝しているんです」

 

 

 

 現在、NYで学んだスキルを活かしながら、パリで長編映画、TV映画のシナリオを執筆中という源さん。

 「私の仕事では、人生プランは建てられない。どうなるかわからない。明日は読めない。でも、不安になることはあまりありません。ここまで来れたんだから、これからもやっていけるだろうと思う。仕事の種類も数も変わっていくのだろうけれど、自分の好きなことをやっていけるのだから、それでいい」。

 

 

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「無理をしない」が美容の秘訣

 

  酷い肩こりに悩まされていたという源さん。毎月一回鍼を打ってもらうようになってからは、それまで毎週一回受けていたマッサージも定期的に受ける必要がなくなった。毎朝しょうがのパウダーをレモンと蜂蜜と合わせて飲用することで、元来の冷え性も改善した。化粧水は日本製のものを使っているが、日々のスキンケアには、積極的にADERMAなどフランスの薬局コスメも使用している。そして、健康のため、とは言えど、彼女がどうしても断つことができないのが、「甘いもの」。「やめることはできないんだから、やめない。できないことは、しない」と断言する。その代わり、撮影の前日は、「夜はオーガニックのスープのみ。甘いものは口にしない」と決めているのだとか。

 いつまでも若くいたい、という欲望は万国共通だが、何歳になっても不変のかわいさを頑なに追求する日本とは異なり、年を重ねていくことによって得る、年相応の美しさを称えるフランス。無理なことはしない。無駄な背伸びはしない。自分らしく、自分でできることを実践し、のびのびと生活することが、パリ仕込みのアジアン・ビューティー、源さんの美容の秘訣なのだ。

 

 

 

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源利華さんおすすめの美容品

 

 

アデルマ  - エピテリアル AH クレーム40ML

Epithéliale AH Crème 40ml  - ADERMA

 珍しく肌が荒れてしまった時、医者に勧められたクリーム。たっぷり肌にのせて寝ると翌日には、ぶつぶつが消えたというミラクルクリーム。海外に行って水が合わなかったり、かぶれたりと様々な問題に対応してくれるので、旅行の際には必ず持参する。

 

 

ナチュラブラジル  - ユイル・ドゥーシュ・アサイ・トリファゼ

HUILE DOUCHE ACAI TRIPHASEE - EKOS - 200ML – NATURABRASIL

 ブラジルの果物植物を使ったメーカー。香りが浴槽、部屋に充満し、リラックス効果が高い。この3層になっているoil washは保湿効果も大。ほのかな香りが長く続く。

 

 

レアナチュール - アプレ・シャンプワン・ニュトリション・アンタンス・アルガン

APRÈS-SHAMPOOING NUTRITION INTENSE ARGAN – LEA NATURE

 ブリーチでパサパサに痛んだ髪に、このヘアマスクをシャンプー後全体に伸ばして待つことなくすぐに流すと、すぐにすごくさらっとしっとりとする。オーガニックでなおかつ値段も安いのも魅力。

 

 

ケンゾーパルファン - クレーム・プル・ポー・サンシュエル

CREME POUR PEAU SENSUELLE – KENZOKI - KENZO PARFUMS

 女同士で香りチェックが入るのは当然。しかしこのクリームをつけると、男性からもどこの香り?と聞かれるのだとか。

 

 

スパ・サンク・モンド - ゴマージュ・アロマティック・オ・ゼピス

GOMMAGE AROMATIQUE AUX EPICES – Cinq Mondes Spa

 肌がつるんつるんになるスクラブ。スパも心地よいメニューがいっぱいある。

 

スパ・サンク・モンド

 SPA CINQ MONDES

6, Square de l’Opéra Louis Jouvet,

75009Paris

電話番号 01 42 66 00 60

https://www.cinqmondes.com/fr/spa-cinq-mondes-paris.html

 

 

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源利華さんご用達の店

 

 
アンカ

目下、ペルー料理にはまっているという源さん。魚を多く用い、生魚のメニューが多くて日本料理のような感覚で食べれるので、気に入っているのだとか。ペルーのアルコール「クスコ」も大のお気に入りで、「飲むとハッピーになれる、ハッピードリンクなんです!」

 

 INKA

13 Boulevard du Temple, 75003 Paris

01 46 34 05 60

営業時間 19時半-22時30

無休

http://www.1k-paris.com/fr

 

 

ル・コルニション

お手頃な価格で、軽めのフレンチをいただけるレストラン。メニュー製ですが、種類も多く、誰もがお気に入りの一品を見つけられるお店。

 

LE CORNICHON

34 Rue Gassendi 75014 Paris

01 43 20 40 19

営業時間 月-金12時-14時半 19時半-23時

土日定休日

https://www.lecornichon.fr/fr

 

 

 

 

Remerciements: 

Lika Minamoto

 

 

 

 

 

 

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稲沢貴雄(料理人/「CUISINE」共宰)

ChibiRu(手ヅクリ家)

加藤亨延(記者)

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