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佐藤舞(ヴァイオリン職人)


Mai Sato(さとうまい))秋田県生まれ。高校卒業後、東京の国立音楽院でバイオリン製造を学ぶ。2009年渡仏。パリのヴァイオリン職人、ギー・ココズの元で引き続き伝統的な製造法を学ぶ。

 

熟練職人の元で身につける技と

自身に課す生涯の宿題

 使い込まれた道具たちと、その佇まいだけで多くを語る楽器たち。大きな窓から注ぐ柔らかい光が、それらをやさしく包み込む。工房という響きがなんともしっくりくるこの場で、ヴァイオリン職人としての修行に日々精を出す佐藤舞さん。熟練職人から伝授される知識と技術をもって、自身に課した永遠の宿題に打ち込む。

「古くて美しい」ものが好き

 6歳の頃、ピアノを習い始めた佐藤舞さん。そのきっかけは、幼稚園の発表会で「ピアノが弾きたい」と立候補したのに、「習っている子を優先的に」と言う理由で、選ばれなかったのが悔しかったから。 そして中学に上がる頃には、「ヴァイオリンを習いたい」と思うように。両親にそう伝えると、「そういえば、ピアノがやりたいっていう前にも、ヴァイオリンが習いたいって言っていたね」と、聞かされた。しかし当時、子供のヴァイオリン教室が近くになかったこともあり、断念せざるを得なかったのだとか。

熱心に練習を重ね、日に日に上達していったヴァイオリン。小さい頃から、なぜか「古くてきれいなものにとても惹かれた」という佐藤さんは、だんだん、弾くこと以上に、「骨董品のように」美しいヴァイオリンの魅力にとりつかれていく。

 それでも、思うように上手く演奏できない自分に、どこか違和感を感じてもいた。人前に立ち、演奏することには「喜びを感じることができない」ことにも気づいてしまう。かといって、教えたいとも思えない。進路について考える度に、「ヴァイオリンには関わっていたい。でも、演奏家になりたいわけではない、教えたくもない。仕事にしたいと思わないのに、音大に行って何を学ぶのだろう。何をしていけばよいのだろう」、と焦った。



高校2年生のとき、たまたま東京から秋田に来ていたヴァイオリン職人が、彼女の弓の毛替えを引き受けてくれ、その作業を彼女にも見せてくれた。


「かっこいい…」。


初めて目にする「職人さん」の手作業を目の当たりにして、「こんな風に、楽器や音楽に関わる仕事もあるんだ」、と思ったことを思い出した。 「演奏者としてではなくとも、ヴァイオリンに携わっていられる」。


「生涯職人」の道

 当時の先生に紹介された、東京で楽器店を営む人に、「職人になるのはどうしたらいいのでしょう」と相談したところ、楽器職人を養成する学校が東京にあると教えられた。「勢いで」入学手続きをとった佐藤さん。高校卒業後上京し、ヴァイオリン職人を目指しての勉学を開始することに。

 彼女が入学したのは東京の国立音楽院という、演奏、音楽制作、ピアノ調律、管楽器修理、また音楽を活かしての社会奉仕(教育、福祉)など、実に幅広く、そして自由に音楽に携わることができる学びの場。2年間の在学期間中、ヴァイオリン製作科に籍を置いた佐藤さんはここで、奏者ではなく作り手として、ヴァイオリンと向き合うようになる。


 世界中の人々を虜にしてきた弦楽器の花形、ヴァイオリン。伸びやかで繊細、それでいて時には胸に迫るような迫力のある音色は、その緩やな曲線が描く美しい形状から生み出されているもの。改良を重ねていくうち徐々に完成されていったものではなく、当初から完全な形で16世紀半ばに突如誕生したとされている。幾世紀も受け継がれてきた伝統を用いながら作り出される、究極の芸術品ともされるヴァイオリンの職人として生きていくには、想像を絶する修行の道を歩んでいかなければならないのではないか。

当初の佐藤さんはもちろん、そこまで意識していなかったかもしれない。ヴァイオリンと共に生きていく術を、ただ一途に模索していたのだから。


フランスまで、押しかけ弟子

 国立音楽院ではまず、ヴァイオリン製作に用いられるカンナの「下の目を平らにする」ことから学んだ。3日間朝から晩まで、ただひたすらやすりにこすりつけるという、初っ端から忍耐を要する作業だった。その他、平ノミの研ぎ方や、小刀の柄作りといった道具の手入れ法、そして使い方といった地道な作業をこなして、やっとヴァイオリン製作を教えてもらえる。すでに用意された内型に合わせて、側板、そして表・裏の木板を取り付ける。掘り、削り、整え、内型を外す。仕上げのニス塗り(学校ではニス作りは教わらなかった)に至るまでの工程、その全ての作業に高度な技術が求められるため、ヴァイオリンの形を造り上げるだけでも、相当な鍛錬が必要とされる。そこから更に、それ以上の努力と時間をかけ、訓練を重ね数をこなしていくことによって、世に「名器」と呼ばれるものを生み出すことができるのかもしれない。

 二年の在学期間、「ただ一器として完成させることはできなかった」佐藤さん。もやもや感を残したままの卒業。

「どうすれば、ヴァイオリン製造の勉強を続けていけるのだろう」。


 そんな折、年に一度、東京で開催される弦楽器フェアに、パリでバイオリン職人として働く日本人男性が参加していることを耳にする。面識があるという学校の先生にお願いして、彼の元で修行をさせてもらえるように頼み込んだ。



破門覚悟の決断

 そして、2009年春。願い叶って、「押しかけ弟子」としてパリの地を踏んだ佐藤さん。 実は、卒業間近になって、クレモナ(楽器製造、特に弦楽器製造のメッカとされる、イタリアの街)留学も真剣に考えていたのだという。しかし、この師匠との出会いがあったため、最終的に「パリ留学」に踏み切った。また、フレンチの料理人だった当時の恋人が一足先にパリでの修行を開始していたことも、「パリに行きやすい環境」としてあったのだとか。


 こうして、師匠の指導の下、彼が職人として勤務していたパリのルチエ(弦楽器職人)ギー・ココズのアトリエで、ヴァイオリン製造の修行を開始。学校で教わる教科書的なことだけではなく、プロの職人の技と知識を直で学ぶことができる。師匠の作業をひたすら観察し、見様見真似で反復した。しかし、フランスに来て数か月もすると、師匠は当初から計画していた通り、日本でアトリエを構えるため、帰国することとなってしまった。パリでの生活も少し落ち着き、やっと楽しいと思えるようになっていた佐藤さんは「まだ帰りたくない。もう少しフランスにいたいです」と正直に伝える。「本来なら、師匠に付いて帰国するべきなのに、弟子失格、破門ですよね」と俯く。

 「押しかけ弟子 」の佐藤さんを拒絶することなく、快く受け入れてくれた師匠に対しての「裏切り」。自身を攻めつつも、自分の気持ちに正直に生きていくことを決めた佐藤さんは、そのまま、アトリエに留まり、より一層修行に励むことを胸に誓う。



数をこなし、学ぶ

 ギー・ココズ弦楽器店は、パリ8区の北側、パリ屈指の楽器専門店が集う地域にある。

 ヴァイオリンを始めとする弦楽器が所狭しと並べられた店頭、そしてその奥には年季の入った道具・工具を用い、弦楽器の修理、そして製作に励む職人たちのアトリエがある。未だ未だ修行序盤、「職人の卵」とも呼べなかったであろう佐藤さんは、すぐ横の楽器屋さんで、初心者向けの楽器のセットアップの仕事を手伝った。

 安価のヴァイオリンは、正しいセットアップ・調整がされていない状態で店に届くため、本体に駒、ペグ、弦、そして魂柱(表板と裏板を直接つなげる棒)などがついていない状態だ。これら全てのパーツを装備させる、セットアップと呼ばれる作業を5ヶ月ほど、黙々と数をこなしていくことで、別の視点からヴァイオリン、そして弦楽器と向き合うことができた。



 時間を見つけては、日本で未完成のまま手つかずの状態にあった、自分の楽器作りに取り組み、なんとか、「処女作」のヴァイオリンを完成させることができた。 そうこうしているうちに、1年のワーキングホリデー滞在期間はあっという間に過ぎてしまった。


運と出会いに助けられて

 日本に帰国しても、フランスの余韻から抜けられない。「またフランスで、またあのアトリエで仕事がしたい」。

 その思いで、一年間お金を貯めて、2011年4月、再度パリに戻ってきた佐藤さん。

 「絶対断られると思っていたから」、前以てオーナーに連絡は入れず、いきなり訪ねて交渉したという佐藤さん。「押しかけ弟子」精神は健在だった。驚きながらも快く受け入れてくれたオーナー、ココズ師と話し合い、午前中は語学学校、午後はアトリエで見習いとして、そして夜は生活費を稼ぐため日本食レストランで勤務するという生活を始めた。朝から晩まで休む暇なしの勉強と仕事。「常に寝不足だった」と語る佐藤さん。「お金もないから遊ぶことはなかったけれど、職場で知り合った人たちと、ピクニックしたりと、お金がかからない遊びをたくさん覚えたんですよ」と笑う。


 アトリエでは引き続き、中国製の低価格(多くが、2000ユーロ未満のもの)の弦楽器、そして時にはフランス製の古いもののセットアップをこなしながらも、少しづつだが高度な修理技術も学んでいった。「フランス人女性のとっても修理が上手な方がいて、彼女に手取り足取り教わったんです。何をやるにもすごく時間がかかったけれど、何か一つでもうまくできると、本当に嬉しかった!」。

約一年半の見習い期間の末、正社員の職人として迎えられた。かといって、職務内容的に大きな変化があったわけではない。一人前の職人への道のりは、そう甘くはない。




自身に課す宿題

 正社員になってからも、時間を作っては、引き続き「自分の楽器」製作に精を出した。 学校で学んだことはもちろんだが、第一線で活躍している職人達から教わった技法、技術、哲学や心持ちまでもを理解し実践していくうちに得たものを駆使して、挑む。

職人としての情熱や、こだわりを持つようになった自分の「ニスから作りたい」という願望にも耳を傾けた。通常、弦楽器に用いられるオイルニスは、製造の過程で強力な匂いを発するため、街中で作るのは難しいと聞かされていた。そのため、アルコールニスを使用することが多かったのだが、その作り方を知っている人は周りにいない。「自分で作ったニスを塗ったものでないと、自分で作ったヴァイオリンとは言えない…」。そこで、前述の弦楽器フェアで知り合った、南仏在住のフランス人楽器職人の元を訪れ、アルコールニスの作り方を教わり、やっとの思いで自作のものを作れるようになったのだ。


 それからは、仕事休みの日を自分の作品製作に充てるようにしている。途中で何度も中断し、3年かかって初めて完成させた「処女作」。2器目は、自製ではないオイルニスを塗ったもの。そして3器目は、子供サイズのもので、友人の子供が実際弾いてくれているのだとか。「初めて演奏してもらえた楽器」を製作したことは、大きな自信となったが、「ニスの塗り具合が気になった」のだとか。1器目(処女作)のヴァイオリンも、昨年気に入らなくなって、全て引き剥がしてしまった。

そして現在、4器目の製作に取り組んでいる。満足のいく楽器を作るのに、どれだけの時間を要することになるのか見当もつかない。生涯、自分に課す「宿題」のようなものなのではないだろうか。


左から。2作目(フランチェスコのニス)、1作目(ニスが気に入らないので塗りなおし中)、新作

魂に響く楽器つくり

 暖かい眼差しで彼女を見守ってくれるオーナー、そして先輩職人たち。日本の学校の友人たちには、職人を志しながらも、挫折せざるを得なくなった人が少なくないという。「そんな中、私は運にも出会いにも本当に恵まれたのだと思ってるんです」。

 世代交代で、息子のフランチェスコさんに店主の座を譲ったココズ師だが、プロの演奏家の要望に対応するためにちょくちょくアトリエに顔を出す。若くしてオーナーとなったフランチェスコさんは若手の演奏家たち、そして佐藤さんは、パリに多く滞在している日本人留学生の対応を受け持っている。


若き新店主、フランチェスコさんと


接客を任されているヴァイオリニストのオルランドには、修理や製作を手掛けた楽器の弾き試しをしてもらうこともある。「高音と低音の音のバランスが良くない」「遠くまで響かない」「音が弓の動きについていかない」「レスポンスが鈍い」等、厳しい意見が出てくることも多々ある。これらの「音域の良し悪し」を決定づける要素の一つが、魂柱の位置。音を裏板まで振動させ、楽器全体に音が響くようにするため、その名の通り、楽器の魂のような役割を果たす。「駒に近づけるほど音が鋭くなる。離すと柔らかくなる。f字孔のほうに引っ張るとテンションが高くなるため、その都度音が変わる」。基準はあるが、それぞれの楽器が持つ「クセ」に合わせて、魂柱の位置調整を重ね、聴き手の魂に響く音を発する楽器作りを目指す。


先代の、ギー・ココズ師

 「かっこいい」オールド楽器で溢れるアトリエで、修理や製作に没頭していると、隣の部屋から演奏家たちの弾き試しが聞こえてくる。「相変わらず作業の遅い」佐藤さんをにこやかに見守ってくれている先代は、茶目っ気たっぷりに、楽器に対しての愛情を教えてくれる。


2014年には、「ヴァイオリンとは無関係の世界の」フランス人と結婚した佐藤さん。

時には、彼と共にふらっと入った教会で行われている演奏に、ぼーっと聞き入ることもある。日常的に音楽に触れることができるヨーロッパ都市ならではの貴重な時間だ。


日本に帰国して職人として生活していくことも考えないことはない。

「でも、きっと、今すぐではないですね」と笑う。


3作目の、3/4ヴァイオリン (子供用)

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佐藤舞さんの修行の場

ギー・ココズ – ルチエ

GUY COQUOZ - LUTHIER

46 Rue de Rome, 75008 Paris

Tel : +33 (0)1 55 30 00 30

営業時間 9時30-18時30 (土曜日は13時まで)

日月定休日

メトロ Rome

Remerciements:

Mai Sato, Guy Coquoz-Luthier

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