#ParisMonogatari 

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坂川孝氏(パタンナー/モデリスト)

February 12, 2017

 

 

 

坂川孝氏(Takashi Sakagawa) 福井県生まれ。地元の工業高等専門学校電気工学科を卒業。1999年渡仏。パリのパタンナー養成学校で資格獲得後、フリーランス・パタンナーとして数々の有名ブランドで経験を積む。2015年より、メンズ・レザーウェアを専門とするSERAPHIN社でチーフ・パタンナーとして活躍。

 

 

調和から生まれる線で

人に寄り添う「服(福)」を興す

 

 

 パタンナーとは、ファッションデザイナーが作成したデザインを元に、「身頃、襟、袖」などのパーツの型紙を興す「服の設計士」とも言える職人のことだ。見栄えはもちろんのこと、着心地の良さも求められる服には、パタンナーによる、目に見えない配慮が縫い込まれている。 ファッションデザイナーを志してパリに渡り、いつしかパタンナーとなったある青年の手が生み出す「服」には、着る人に「福」をもたらしてほしい、という願いがこもっている。

 

 

 

 

 

 

自分のことは自分で決める

 

 幼い頃から、常に様々な違和感を覚えていたという坂川孝氏さん。勉強ができたこともあってか、周囲の大人からは「良い大学に入って、大企業に就職を」と事ある毎に言われ、「自分の将来なのに、どうして人が決めるんだろう」と子供ながらに感じていたのだという。中学生の頃には、「何かを一から創りたい」という大きな欲求が芽生え、「エンジニアになりたい」と思うようになっていた。そこには、「終身雇用が当たり前だった時代は終わる。手に職をつけなければ。」という確信もあった。父親との度重なる話し合いの末、失敗したら進学校へ行くという条件つきで、地元の国立工業高等専門学校(高専)を受験。見事に合格し、電気工学科に入学した。単位を落とせば落第、という大学並みの条件の中、5年間勉学に励み、20歳で卒業。しかし、「就職には苦労しない」と言われる高専卒であるにも関わらず、卒業の半年後にはファッションデザインを学ぶためフランスに渡った。一体何があったのだろう。

 

 

 そこには「服」との出会いがあった。17歳の頃、同年代の若者と同様に服に興味を持ち、「色んなものを見てみたい」と、福井市内にあるセレクトショップを訪れた。そこで、ヨーロッパから届いた数々の服に出会い、衝撃を受ける。今まで見たこともないデザインに、想像もできなかった生地の使い方。オーナーがしてくれる洋服の話に、買い付けで訪れるパリの話…すっかり夢中になった。アルバイトに励み、もらった給料が翌日には洋服に変わる日々。「完全な道楽でしたね」と笑う坂川さん。そしてその興味は、いつしか着る側から作る側へとシフトしていく。「どうしてこんなに素敵なんだろう?」… もっと知りたい、理解したい、という想いは、高専を中退し服飾専門学校への入学をも真剣に考えるほどになる。両親からの説得もあり最終的には留まったものの、「自分はこれからどうしようか」と考えていた時、ふと手にした専門誌で、ヨウジ・ヤマモト(パリを拠点に活躍するデザイナーの山本耀司氏)のインタビューを目にする。「パリのどういうところが好きですか?」という質問に対し、山本氏は「パリは、人が何をやっていても放っておいてくれる」と答えていた。

 進路に限らず、周りから常に干渉され、「自分の人生なのに…」と心底辟易していた坂川さんにとって、山本氏のこの言葉が「きっかけ」となった。

 

 

 

「干渉されない」パリへ

 

 記事を読み終えた時には、既に渡仏を決めていたという坂川さん。すぐに必要な準備を開始した。アルバイトで資金を貯めながら、フランス語の勉強、学生ビザの申請、語学学校への入学手続きなどを、人に頼ることなく着々と進めた。そして、両親を説得し、1999年の秋にはフランスへと渡る。ロワール地方にある語学学校へ一年通い、フランス語の習得に専念した後、2000年11月からパリの服飾専門学校に通った。ここでデザインとパターンの授業を受けたが、一年間の在学で得られたものでは満足できなかった。しかし、在学中に触れることができたパターンの面白さ、その奥深さに惹かれ、そこから更に半年間、パタンナー養成学校で学ぶことを決意する。学んだことを身に染み込ませるように、自由な時間には洋服を創ることに没頭し、資格習得後は、老舗メゾン(ブランド)で研修生として働き始める。アトリエの責任者が熱心に教えてくれたこともあり、初めて手掛けた服を纏ったモデルが、パリコレのランウェイを颯爽と歩いた。いつもは冷静な坂川さんもさすがに興奮してしまったのは、「何かを一から創りたい、という欲求が現実となった瞬間だった」から。その後、KENZOを引退したばかりの高田賢三氏の新ブランドの開発チームに加わるチャンスを掴み、研修期間の7ヶ月間、確かな技術を持つ服作りのベテラン達から、裁断・パターンなどの知識や技術をみっちり教わった。

 

 

師匠と呼べる人々との出会い

 

 1年間の研修の後、独り立ちすべく、働くための可能性を模索。フリーランスビザを取得し、50社ほどの有名ブランドに営業をかけた。「最初だからこそ、名の知れたしっかりしたところで」、と妥協することなく探し、獲得したのがKENZOでの仕事。デフィレ(ランウェイ)、クルーズライン、そしてメンズと幅広くパターン作製に携わる。しかし、社内の評価を実感しながらも、いつしか物足りなさも感じていく。それは、服の完成像をイメージし構成する力に比べて、技術力の上達が伴っていない、という危機感。そして、どんな服でも作れるようになりたいという願望。30歳を目前に日々、焦燥感は募っていく。「このままではそのうち立ち行かなくなる。将来の為に、今、やっておかなければ…」。

 

 そんな悩みを解きほどく糸口となったのは、アトリエの休憩室での出会いだった。ベテランパタンナーの、ヴィンセント・スミス氏。彼はなんと、坂川さんが地元で購入し、大事に着続けていたシャツを手掛けたパタンナーだったのだ。そんな「ご縁」のある彼に、技術的な相談をしてみたところ、「今度、空いてる時間に教えようか?」と提案され、平日の勤務後、または休日を返上して、彼のアトリエでメンズ・スーツに関する技術を教わるようになる。自分でパターンを引き、縫って形にする訓練。様々な疑問に対し、丁寧にコツや注意点を伝授してくれた彼の事をいつしか「師匠」と敬うようになった。

 

ヴィンセント・スミス氏と

 

 

作り手の数だけ、服の形がある

 

 私たちが日々身に付けているのは、数々の平面の型紙(パターン)を縫い合わせ、立体となった「服」。パタンナーは、デザイナーが提示するデザインやアイデアを元に、持っている知識と技術を駆使しながら、それぞれのデザインと生産工程に合わせた型紙を興す「洋服の設計士」のような役割を担う。デザイナーの意図を正確に把握した上で、裁断から縫製といった「創る側」の視点、見た目や着心地といった「着る側」の気持ちまで配慮し、「それらの調和から生まれる線」を導き出す。サンプル作り、フィッティング(試着)でのデザインやボリュームの修正などを繰り返し、やっと完成する1着の「服」。スポットライトを浴びるのはデザイナーだが、支えているのは、影で試行錯誤を繰り返すアトリエの職人たちだ。とりわけ「最終的な製品の善し悪し」を左右するとも言われるパタンナーは「美しい服」創りの要でもある。

 

 

 スミス氏と共に作業するようになって、「紳士服」の面白さに目覚めたという坂川さん。それまで主に手掛けていた婦人服が、「雰囲気」や「優雅さ」によって「着たいと思わせる」のに対して、「着心地が優先される」紳士服では、構造的に追及できるポイントが数多くあり、「理系」な自分の性分に合っているように思えた。見栄えと実用性、そして型紙と縫製がマッチしていなければ良いものはできない。更に、頭の中にある女性像を追い求めながら作っていく婦人服ではなく、生理的に理解できる紳士服だからこそ、納得のいくものが創れるのではないか。淡々と語っていた坂川さんの口調も熱を帯びる。

 ひたすら引いてきた線の向こうには、寸法だけではない、様々なことが見えてきた。作っている時の気持ちがそのまま出てしまう事、縫う人によって変わる服の佇まい、…やればやるほど可能性は広がり、知れば知るほど奥深い「服創り」。デザインをただ忠実に再現するのではなく、服をより機能的に、より美しく見せるための「調整」を施し、昇華させる。そのために必要な技術と感性を磨き続けることが、「自分にとっての服創り」なのではないか、と考えるようになる。

 

 

技能の安売りはしない

 

 二年半の「KENZO」勤務終了後も、時間を見つけては、アトリエでスミス氏と共に服を創っていたという坂川さん。自分のことを「一人前の同業者」として尊重してくれる「師匠」の存在をありがたく受け止めながらも、彼が伝えてくれた確かな技術を生かすべく、坂川さんはフリーランスパタンナーとして様々なメゾンを渡り歩いた。その数は2013年までの9年間で20社を超える。留まることで得ることのできる「安定」した生活に甘んじなかったのは、様々なデザインやアトリエを経験していくことで前進できる、とストイックに考えたから。

 自由に仕事が選べる一方で、足元を見られがちな「フリーランス」という立場。しかし坂川さんは、不当に値切ろうとする企業の交渉には一切応じなかった。満足してもらえる自信はある。どんなに仕事が欲しい時でも、自分の技能を決して安売りしない。それが、自分で決めた「パタンナー」としての生き方。「高い」と言われながらも、決して下げることはしなかった「自分の価値」も、「一番売れたのは、君が創ったものだよ」と次第に認められ、正当な評価をもらうようになっていった。

 

 

 2015年には、現勤務先である「SERAPHIN」に入社。革製品で有名な某メゾンの製品を担当していたこともあり、世界でも屈指の品質を誇るメンズ・レザーウェアを作っている会社だ。「革製品は特殊で難しい」と話には聞いていたからこそ、「以前から取り組みたいと思っていた」と言う坂川さん。パリに飛び込んできたころの「チャレンジャー精神」は健在だった。

 

 

Vêtements (ヴェットマン=洋服)を作りたい

 

 自分のペースを乱すことなく生活していけるのは、いつまでもEtranger (エトランジェ=異国人)でいられるパリだったから。それは、干渉されることなく、自由に没頭できることによって得られる開放感からだったのかもしれない。

 しかし、ただひたむきに自分の腕を磨くことに集中し、仕事に打ち込んでいた坂川さんの生活も、後の夫人となる奈緒子さんとの出会いを境に、徐々に柔らかみを帯びていく。目に見える「洋服」と、目には見えない「音」や「感動」。オーボエ奏者である奈緒子さんとは追い求める「対象」が違うからこそ、世界の広がりが全く異なって見えるようになった。支え合い、補い合い、学び合い、日々の生活を共にしていくうちに、彼女と過ごすことが呼吸をするくらい自然であり、必要になった。フランスに来る前と後では、「自分は全く違う人間だと思っている」と語る坂川さんにとって、奈緒子さんは彼のモアチエ(MOITIE-フランス語で半分と言う意味。伴侶のこと)以上であり、「最高の理解者」でもあるのだ。彼女と共に「自然体のあり方、無理をしない生き方」を心がけるようになり、かけがえのない幸せが詰まったパリでの毎日をじっくり、大切に慈しみながら生きている。2015年に長女が生まれてからは、「家族と共に過ごす時間を何よりも大事にするようになりましたね」、とはにかむ坂川さん。大事なものを得、そして育むことができたパリでの生活は、彼に「言葉では表せないような」居心地の良さも与えていた。こうして、「パリが自分達の居場所なんだ」という実感は、いつしか揺るぎない確信となっていた。

 

 

 

 そしていつからか、見えてきたのは「創りたいものはファッションではない」という、一見矛盾していること。ファッションという常に揺れ動く欲望から生まれる「装飾的なもの」ではなく、すべての人が潜在的に持つ「衣」という必要性の中から浮かび上がる「美」だ。華美ではなく、主張をせず、ただ美しい、まるで寄り添うように体を包みこむ「服」を創りたいと思うようになっていた。

 それは、坂川さんが「纏う」ということに見出した意味でもある。「その日に着るものはその日の朝に決める、そういう生活をしています。前夜のうちに準備しておいても、起きてみると気分が違っていたりして、そのまま準備しておいたものを着ても居心地が悪い。”心地よく居たい”から、その日の自分の気持ちを大事にしたい」。そしてまた、着る服が気持ちに影響を与えているのではないか。「あまり人と話したくない、閉じていたいような気持ちの時は全身黒にしたり、活動的な気分の時は動きやすいものだったり。その時の状態を表してる、とすら言えると思う。だから、着てくれる人に寄り添える1着になってほしいし、それを着て歓んでくれたら本当に嬉しい」。​

 

 

 体の線に沿うだけではなく、人の心にも寄り添う服を。「オーダーメイドの一点ものとしてではなく、既製服として、一人でも多くの人に袖を通してもらえるようにしたい」と願うようになった。

 そして、パリで培ってきた技術や知識、また暮らすうちに深まった「服」に対しての愛情や考えを次の世代と共有したい、とも。それは、いくら機械化が進もうと、良い「モノづくり」には必ず良い腕を持つ「人」が必要になる、と信じているから。だからこそ、若い才能に伝え、応援することで、「美しい服創りの術」を次世代に繋ぐことができる。自分が、師匠と仰ぐ方々に背中を押されてきたように。

 洋「服」が幸「福」をもたらしてくれる事を願って…

 

 

 

 

 

坂川孝氏さんが手掛けた服に出会える店

 

SERAPHIN社では、ショールームでのアポイント制カスタムオーダーを承っています。

 

お好みのモデルを選択していただいた上で、サイズや素材、ご仕様などをご相談いただけます。坂川さんが手掛けたパターンから出来上がる「美しい服」、直に袖を通して体感されてください。

 

ご予約は +33 1 42 39 09 00 / contact@seraphin-france.com(英仏語対応)

詳しくは http://www.seraphin-france.com/

 

 

 

SERAPHIN社の製品(既製服)は、パリのセレクトショップ、コレット、また日本ではユナイテッド・アロウズ、リステアなどで販売されています。

シーズン、コレクションによって入荷商品が異なる場合があります。予めご了承ください。

 

 

コレット

Colette

Adresse : 213 Rue Saint Honoré, 75001 Paris

Téléphone : 01 55 35 33 90

営業時間 月-土11時-19時

日定休

www.colette.fr/

メトロ Tuileries

 

 

良いエネルギーを迎える、食習慣

 

  福井県の実家では、飲料水はもちろん「お風呂の水」までもが地下水だった、という贅沢な環境で生まれ育った坂川さん。野菜や魚といった生鮮品には常にパワーをもらっていた。そんなこともあってか、地域の生産者が運んでくれる採れたてのものや、”命を感じる”食材を選ぶように意識しているのだそう。

 しかし、一番大切にしているのは「その時に自分の体が欲しているものを食べる」ということ。そうすることによって、食べるものや食べ方についても自然と気を付けるようになる上、食事の満足度も高くなる、というわけだ。それがポテトチップスといった嗜好品だとしても、食べたいと思ったら楽しみながら食べる。そんなゆとりが良い循環を生むのだ。

 

 食材を買う店やレストラン選びの際、基準になっているというのが「人」。

 働いている人に「歓んで」働いてる感じがあるかどうか。出てくる料理に「その人らしさ」を感じるかどうか。「料理に限りませんが、最後は人間。だと思ってるので、その人が好きかどうか、で決めているような気がします」と笑う坂川さんご夫妻の周りには常に人が集まる。それは彼らが人々に幸「福」をもたらしているからに違いない。

 

 

坂川孝氏さんご用達の店

 

トヨ

研修生の頃に知り合った、高田賢三氏の専属料理人を勤めていた中山豊光さんが2009年にオープンした店。「いつも謙虚で穏やかな彼の人柄が反映された料理が大好きです。カウンター席で、料理してる姿を見ながらゆっくりと食事を楽しむのが幸せ」。

 

TOYO

17 Rue Jules Chaplain, 75006 Paris

Téléphone : 01 43 54 28 03

営業時間 12時半-14時 19時半-22時

日と月昼定休

メトロ Vavin

www.restaurant-toyo.com/

 

 

レ・ヴォアヤージュ・ドゥ・ロール

オープン当日に立ち寄り、オーナーの人柄とその優しい味に惹かれて通うようになった、という思い入れのある店。デザート類も手作りしていて、どれも美味しいと評判。子供にも安心して食べさせられるものがあるので、家族連れでも安心。

Les Voyages de Laure

17 Rue de Malte, 75011 Paris

Téléphone : 09 81 91 38 38

営業時間 12時-19時 (土日は9時半より。月火水は15時まで)

無休

メトロ Oberkampf

www.lesvoyagesdelaure.fr/

 

 

Remerciements: Takashi Sakagawa, Naoko Sakagawa, SERAPHIN, Restaurant TOYO, Les Voyages de Laure

 

 

 

 

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