#ParisMonogatari 

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© 2016 by エフ・エム・エス / Emi CHATEAU-HIRASAWA

田根 剛(建築家)

 

 Tsuyoshi Tane(たねつよし)1979年東京生まれ。北海道東海大学芸術工学部建築学科卒業。2006年、国際コンペ「エストニア国立博物館」最優秀賞受賞。2006年に渡仏し、DORELL.GHOTMEH.TANE / ARCHITECTS(2006−2016)を立ち上げ、2017年よりATELIER TSUYOSHI TANE ARCHITECTSとして独立。フランス国外建築賞グランプリ2016(AFEX)、フランス建築アカデミー新人賞(2016)、芸術選奨文部科学大臣新人賞(2017)など数々の名誉ある賞を受賞し、世界的な注目を浴びる。

www.at-ta.fr

 

 

 

 

「場所の記憶」を掘り起こし

未来に繋げる装置を興す

 

 

 2012年、東京オリンピック国立競技場の国際コンペで、世界有数の建築家たちと並び、ファイナリストとして脚光を浴びたパリ在住の日本人建築家、田根剛さん。しかし、彼の才能が初めて注目されたのは、それから更に7年も前のこと。若干26歳、建築の国際コンペ・日本人史上最年少で最優秀賞を受賞。そして2016年秋、「場所の記憶」を掘り起こし構想された「エストニア国立博物館」が、国民の温かい声援の下、建ち上がった。

 

 

 

  

自分の答えを追及できる職業

 

 少年時代の田根剛さんは、サッカーに明け暮れていた。プロのサッカー選手を目指していたが、やむなく夢を断念せざるを得ず、自分の進路をどうすべきか悩んだときに選んだのが「建築」という道。思えば、高校時代に図書館で見たガウディの作品集に衝撃を受けたことも、ひとつの「きっかけ」だったのかもしれない。大学の課題をこなしていくうちに、条件を取り入れ自由に発想・構想していく、そして絶対なる答えを持たないが故、自らで定める方向性が未来をつくることができるという建築に夢中になった。

 

 

 大学二年の夏休みには、バックパックを背負い、生まれて初めての海外へ。一か月かけて、イタリア-フランスースペインを巡り、数々の都市や建築を見て回った。そして大学三年の時、交換留学の第一期生として、スウェーデンへ。北欧の、寒い国ならではの生活環境。そこには、人々が共に時間を過ごす温かい空間、それを作り出す建築やデザインの実直な力、そしてそれらを生み出す豊かな文化と社会があり、深く感銘を受ける。卒業のため半年日本に帰国するが、2002年にはデンマークのロイヤルアカデミーに客員研究員として在籍するため、再び日本を離れることに。世界各国から集まった学生たちと共に、課題プロジェクトに打ち込んだ。帰国が迫ってきた頃、教鞭をとっていた建築家の教授から声をかけられ、そのままデンマークで建築家として勤務。次々とコンペを任されるようになる。良い経験をし、毎日が充実していたが、それでも紙上のみで展開されるプロジェクトでは物足りなくなっていく。どうやって建物を作り上げていくのか…「建築家」になるためにもっと学びたかった。

 2005年、実務設計を学ぶため、次に向かった先はロンドン。当時彼が注目していたイギリスの建築家がロンドン市内の建築学校で教えていると知り、ポートフォリオ持参で「出待ち」。見事雇用してもらうことになる。新しい勤務先では、計画中のプロジェクト設計を任され、図面を描きながら、建築が出来上がるまでの工程ひとつひとつを学んでいった。

 

 

 

 

騙されたと思って、住み始めたパリ

 

 田根さんが事務所を共同経営することとなるDGT.の二人のパートナー、パリの有名設計事務所から駐在員としてロンドンに滞在していた、ダン・ドレルとリナ・ゴットメとはちょうどこの頃出会った(DGT.は2016年末に解散)。彼らと意気投合し「一緒になにかやらないか」と、当時公募のあった国際コンペに一緒に参加。そして、この3人が構想したエストニア国立博物館設計案が、なんと最優秀賞を受賞する。当時まったく無名の若い建築家だった彼ら。大抜擢だった。

 2006年1月には授賞式に出席し、エストニア政府と契約を結んだ彼らがまず決めなければならなかったのが、これからの活動の本拠地。勤めいていた事務所を退職した田根さんは「そのままロンドンで」と考えていたが、他の二人が駐在を終えてフランスに帰国していたこともあり、パリを希望。「フランス語もできないし、絶対に嫌だ!」と猛反対したが、「とりあえず3か月」と説得され、「嫌々パリへ」。所が、生活するうちにだんだんパリという街に魅了されていく。北欧やロンドンといった寒い地域での生活が長かった田根さんにとって、パリは気候的にとても過ごしやすく、気軽に話しかけてくるフランス人たちは、陽気で人懐っこく、「ラテンの血」を感じた。そしてなにより、パリはヨーロッパの文化や芸術の中心的な位置にあり、世界各国への直行便が出ている。それは、建築家として世界を股にかけて活躍していきたいという田根さんにとって、魅力的な環境だった。

 こうして、この先も「パリを拠点として活動する」覚悟を決める。

 

エストニア国立博物館

 

 

街の記憶を敬う誇り高き国民

 

 ロンドンや東京と比べて、都市としての規模が小さいパリでは時間も緩やかに過ぎていくようで心地が良かった。また、「街が楽しい」と思うのは、建築家ならではなのか。人が楽しそうにしている姿も印象的だった。歴史に囲まれ、芸術や音楽が溢れている美しい街並み。そしてなによりも、古き中にもはっとするような新しいものが混在しているパリに、とてつもない魅力を感じたという田根さん。それは例えば、古い街並みの中突如現れるポンピドゥーセンターのように、隔離されているのではなく共存している街の歴史のかけら。そして、現代の文化的な生活を満喫しながらも、古い歴史や文化に対する敬いや関心の深さを、誇りをもって提示するフランス人たちも然りだ。文化がなくては「人生ではない」と心から理解しているフランス人の精神には、感心させられることが多いという。フランス人の「見たい」「「知りたい」「楽しみたい」という欲を目の当たりにしては、パリは「欲望の街」だと思った。

 

 

 歴史の集積が作り上げた都市文化は、大事に保存しながらも進化できるよう支えてきた人々なしでは語れない。スクラップ・アンド・ビルドが通底し、古いものが壊され作り換えられるのが当たり前のようになっている都市には、いずれ「文化を象徴するものも、その精神を支えるものも、何も残らなくなってしまう」と危惧しつつも、「そこには建築家が建築をとおして未来に提示できる記憶装置となるものが必ずあるはずなんです」と、熱く語る田根さん。歴史の重みを前提としているパリというヨーロッパ中心の地で、あえて新しいものを作り上げていく建築家としての「チャレンジ」に奮い立った。

 

 

 

 

10年の時を経て、育まれた知識と感性

 

 世界の注目を浴びた「エストニア国立博物館」は、コンペから実現化まで実に10年もの時間を要した。「10年という月日はとっても長かった。でも長くてよかったとも思っているんです」と田根さん。それはきっと、彼にたくさんの「考える時間」を与えた。コンペ案には、旧ソ連軍が占領していた時代に建設され、手つかずのまま放置されていた軍事用の滑走路を取り入れた。国民にとっての「重い過去」から目を背けるのではなく、国の歴史の一部として認識することで、「その場所にしか実現し得ない新しい未来」を示すために用いたのは、「場所の記憶」を掘り起こすという手法。しかし、田根さんの口から「場所の記憶」という言葉が発され「人生を懸けて向き合っていけるテーマ」として意識しはじめたのは、それから4.5年も後の、パリを拠点に新たなプロジェクトを進行している頃のことだ。建築家としての成長過程をパリで過ごしたことが深く関係しているのかもしれない、と振り返る。それは、歴史や「場所の記憶」を重んじるパリだからこそ、そしてそれらに多大なる尊厳と誇りを持っているフランス人の中で暮らしているからこそ、だと。

「場所の記憶」を元に構想された、東京オリンピック国立競技場の国際コンペ「古墳スタジアム」案。

 

 パリ市内では、2016年、パリ再開発計画のコンペで勝利はしたものの、主にインテリアや展覧会の会場構成を手掛けることが多いという田根さん。外の歴史から切り離されていることもあるが、それでも手法は変わらない。何故なら、場所の記憶に頼らずとも、その「もの」自体の記憶があり、今の田根さんはそれらを見出す感性と、掘り起こす知識と技術を兼ねそろえている。2014年秋には、過去最大規模とされた「HOKUSAI展」の展覧会デザインを手がけた。唯一無二の鬼才、葛飾北斎の類稀なる作品、その生涯を「絶対に伝えたい」と、北斎の人生が記す「記憶」を元に、数々の「しかけ」を施した。会場となったグラン・パレには連日数時間待ちの長蛇の列が連なり、訪れた人々を魅了。大喝采の下、幕を閉じた展覧会で見かけられたのは、感動のあまり頬を紅潮し、溜息をつくフランス人たち。「見たい」「知りたい」、そして「楽しみたい」という欲望が満たされた証だった。

 

 

 

チームをまとめるミドル・ポジション

 

 事務所では、プロジェクトの大小に関わらず、ひとつひとつのプロジェクトの考えを自由に構想し、スタッフと共に形にする。そして国際的なチームのメンバーと何度も話し合い、より良い提案を作り上げていく。「建築とサッカーって、実は似ているんです。両方ともチームワークが何よりも大事なんです」と田根さん。フィールドの中央に立ち、チームの全体図を把握、チーム内だけではなく、チャンスと思えば攻撃を仕掛け、クライアントや建設業者とのやり取りのパスを出し、受け、そして指示するクリエイターとしての立ち位置を確保する。サッカー部ではキャプテンを務めていた田根さん、チームをまとめるのは好きだと言う。また、緻密に情報を収集・分析した上で出来上がる基盤。毎日の反復で出来上がる肉体と精神。目には見えないけれど、いずれも必要不可欠な要素だ。

 

 

 また、田根さんは、20人弱(インターン生も含む)を雇用する経営者でもある。労働者を守る方針が数多く採り入れられているフランスという国で会社を経営するのは、想像以上に難しく、厳しい。雇用はできても解雇はできない。建築という長期に渡り不定期な職種だからこそ、フランスのこの融通の利かない雇用環境には常に悩まされる。経営は大変だが、「やればやるほどいい仕事ができる」と信じて頑張ってくれる所員を食べさせていくためにも、彼らの自信や実績につながるような良い仕事をこれからもどんどん受けていきたい、と常に思っている田根さんは、「良い試合をたくさんすべき」と考えるチーム監督でもあるようだ。

 

 

 2017年1月。事務所設立10年、エストニア国立博物館完成を機に、DGTを解散し自身のアトリエ、ATELIER TSUYOSHI TANE ARCHITECTSを立ち上げた。世界を股にかけて活躍する田根さんには、活動の拠点とする場の選択肢はその他にもあったのだろうが、あえてパリに留まることを決意した。それは今まで以上に、この文化・芸術・歴史を重んじる街で、建築家として戦い続ける覚悟を決めたからだそうだ。ヨーロッパの中心の地から、世界で挑戦する姿勢を保ち、10年間彼を育ててくれた「パリ」という街に対して恩恵を感じているとのこと。いつの間にか「パリに愛着を持つようになったから…」 いずれにしても、今後の田根さんの活躍は、きっとパリの記憶の一部として刻まれていくこととなるのだろう。

 

 

   

ラブ&ヘイトのパリへの想い

 

 「パリが好きだとか嫌いだとか、長年暮らすともうそんな次元ではないのだと思っています。パリの生活はラブ&ヘイト(愛と憎しみ)です。ストに巻き込まれたり、タクシーで嫌な目にあったり最低の経験をした後に、この街でしか経験できない人生の最高の経験をすることがある。とても落ち込んでいるときに、誰かに親切にされたり、素晴らしい風景に巡り合えたり、感情が極端に振れる。でもそれが実は最近気に入っているんだと思うんです」と田根さん。自宅からアトリエまでは、観光ガイドブックに出てくるような「美しさ」はないかもしれないが、一歩踏み出す度に何か新しい発見があり、飽きることがないのだという。

 

 

 エストニア国立博物館、待ちに待ったオープニングの日には、世界各国からVIPが集まり、お祝いの言葉をかけてくれた。その中でも一番心に残った出来事がある。あるエストニア人のおばあさんが、暖かな眼に涙を浮かべながら田根さんにハグをした。「この人のために作ってよかった」と感激したのだという。「人生を注いだ建築が出来上がるまで」にかかった時間。その分だけ、彼は考え、成長した。エストニアの地の一部となったおばあさんと田根さんの涙の滴には、「パリ」も少し含まれていたはずだ。

 

 

 

 

田根剛さんが手がけたパリ作品

 

とら屋 パリ

老舗和菓子屋のリニューアル。角を立てない「折り合いの心」をイメージ。フランス製素材のみを用いて作り上げた和空間。

TORAYA

10 Rue Saint-Florentin, 75001 Paris

+33(0)1 42 60 13 0

営業時間 10時半-19時

日曜定休

https://www.toraya-group.co.jp/toraya-paris/

 

 

ジャパン・ストア  伊勢丹・三越

パリ日本文化会館

The Japan Store - Isetan Mitsukoshi - Maison de la Culture du Japon

101 bis quai Branly75015 Paris

+33(0)1 45 79 02 00

営業時間 12時-19時 (木は20時まで)日・月・祝休

http://www.mcjp.fr/

 

 

 

 会話がなによりの調味料

 

 北欧・ロンドンを経てパリにたどり着いた田根さんがびっくりしたことの一つが、「食事がびっくりするくらい美味しい」ということ。グルメ大国フランス、とりわけその首都パリでは、バラエティーに富んだ地域の特産品、そして世界をうならす腕を持つシェフたちの料理を食することができる。また、ふらりと入る近所の定食屋で出てくる料理でも、とにかく美味しくて、常に感動したのだという。とは言えど、パリに来たばかりの事務所立上げ当初は収入もなく、入賞時に手にした賞金と貯金とを費やし生活費にあてていたため、外食をするような余裕はなかった。それでも、マルシェで食材を調達してきては交代で食事を作り、仲間と共に食卓を囲んで会話していた当時のことを、懐かしそうに話しながら笑う田根さん。食事とは「人と人を繋ぐまんなかにあるもの」。美味しいものだけではなく、時間や会話など様々なものを分かち合うからこそ、幸せになるのだという。おしゃべりなフランス人たちと共に食事をすると、あっという間に時間がたってしまうのだそう!

 

 

 

 

田根剛さんご用達の店

 

クレープリ・ブルトンヌ・フルーリ・ド・レプーズ・デュ・マラン

「昔から、ブルターニュのおじいさんがずっとひとりでクレープをつくってるお店で、小さいしお世辞にも綺麗なお店とはいえないけど、そこには 愛があふれてます。 パリにはじめて来た頃、この近所に暮らしていたこともあり、何度もなんども通い、そのおじいさんがつくるクレープを食べてました。そうした名もなきお店が実は好きです。」

 

©Crêperie Bretonne Fleurie de l'Epouse du Marin

 

Crêperie Bretonne Fleurie de l'Epouse du Marin

67 Rue de Charonne, 75011 Paris

+33(0)1 43 55 62 29

営業時間 12時-14時 19時-23時 (日曜は夜のみ)

無休

 

 

Remerciements: 

Tsuyoshi Tane, Takuji Shimmura, DGT Architects, Atelier Tsuyoshi Tane Architects

 

 

 

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稲沢貴雄(料理人/「CUISINE」共宰)

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