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猪爪悠紀(スパセラピスト)


猪爪悠紀(Yuki Inotsume) 福井県生まれ。大学の英米文学学科を卒業後、日本でビューティーセラピストとしてキャリアを積み、渡仏。フランスの国家資格やシデスコスパ国際資格も取得し、2013年よりパリの マンダリン・オリエンタル・スパでトップスパセラピストとして活躍。 2016年、第6回「メイユー・マン・ド・フランス」(フランスのベストハンドコンクール)で準優勝を果 たす。

 

「ご縁」を道しるべに

フランスで認められた最高の癒しの手

 猪爪悠紀さんの手には、人を癒すための特別な力が宿っている。

海の恩恵にあずかり、家族の愛情に育まれてきた彼女が、現在スパセラピストとして活躍するパリのスパ・マンダリン・オリエンタルには、施術を受けに世界中からゲストが押し寄せる。

 彼女の魔法の手によって、「ゼロ」に戻してもらうために。

流されるように、来てみたパリ

猪爪悠紀さんが、初めてフランスを訪れたのは2005年、東京のスパでビューティーセラピストとして働いていた頃。当時の恋人で後の夫となる友宏さんが滞在していたビアリッツで、共通の趣味であるサーフィンを楽しんだ。パリにはついでに立ち寄った程度。そしてその翌年、今度はパリを目指してフランスの地を踏む。何か特別な目的があったわけではなく、旅をしたい、まずは行ってみたいという学生時代と変わらない興味本位からだった。小さい頃から、いずれはどこか海外に出ようという気持ちはあった。大学生の時にはアメリカ、カナダに短期留学しているので、次はヨーロッパ。ヨーロッパならパリという思いもあった。そこには、小さい頃から習っていたクラシック・バレエのレッスンの間に耳にしたフランス語の響きに、多少なりの憧れを抱いていたこともあったのかもしれない。そして、パリでヘアスタイリストとしてキャリアをスタートしていた友宏さんに合流するためでもあった。それ以上でもそれ以下でもなく、ただなんとなく流されてきたといった感じだった。


全ての人に一生関わるテーマ

福井県越前市出身の悠紀さんは、伝統工芸が豊かで、海も山もある荘厳な自然に包まれ、最高に鮮度の高い素材を食すのが当たり前という理想的な環境で育った。東京の大学の英米文学学科に進学し、いずれは海外に出たいと考えていたが、20歳の時、思いがけない出来事が彼女の人生を揺さぶる。父親が脳卒中で突然倒れたのだ。幸いにも命に別状はなかったが、予防治療を始めた父と支える母の姿を見ながら健康というテーマと向き合い、それまで当たり前とさえ思っていた環境が、実はとても恵まれているものだということに気づいたのだという。卒業後、ワーホリで海外に出るための資金稼ぎに、一応乗ってみた就職活動の波。唯一受けたスパの会社に見事合格する。「英米文学科に行ったのに、なぜスパの会社に」と親兄弟、親戚から叱責されるが「誰の人生にでも一生関わる健康のことを勉強してみたい」と説得。一社受かったのも、絶対何かの「ご縁」なのだからと入社を決意。もう誰も反論しなかったという。


記念日など特別な日や、贅沢なひとときの演出もソワンに大切な要素の一つ。

小さい頃から遊び半分で父の背中に乗ったり、手のマッサージをしていた悠紀さんにとって、家族に施術をすることは決して不自然なことではなかった。体の仕組みを理解し、そして自身の体で感じることを、手で確認する。マッサージが終わった後、父の「ありがとう。気持ち良くて、体がラクになったよ」という言葉から、人を癒し元気にしてあげられる喜びを知り、何より父に感謝してもらえることが嬉しかった。そして「触れる」ということに新たな意味を見出したのが、留学先の欧米の世界で学んだ、友人や親しい先生と生徒間でもハグをするという日本とは異なるコミュニケーション方法。安心や自信、癒しの力を、家族以外にも必要としている方へ届ける。体だけでなく心にも響かせることに気づき、より愛情の込もった手になった。


必ずしも言葉を必要としない、触れる癒し "Bien-Etre (ビアンネートル)" の世界

陰陽の対局する両極端の世界ではない、グレーゾーンの中にも本質はあると思う、と語る悠紀さん。すべてを説明する必要はないし、直観や感覚で生きてみるからこそ「ご縁」が導いてくれると信じて歩んでいけるのだと。物事の本質を見極めるような澄んだ眼差しで、遠くの何かを見つめていると思ったら、誰かが発した言葉にうっとりし、復唱する。ひとつひとつを慈しむ、そんな純粋な心が表れているよう。


お客様の肌に触れる手。爪やすりは必需品ポーチと共に必ず持ち運び、指先のケアには常に配慮している。

お客様の肌に触れる手。爪やすりは必需品ポーチと共に必ず持ち運び、指先のケアには常に配慮している。

パリに着いた当初は、羽を伸ばして自由な時間をと思っていたが、フランスのエステの現場も経験してみたいと思うように。アルバイトを探してみるも、フランスでのエステやセラピストの資格を持っていないと何もできないことが発覚。それでは資格を取ろうとビザを切り替え、エステの学校に入学。外国人対象コースの授業を受け、無事にフランス国家資格と国際ライセンスのシデスコスパを取得する。学校に通いながら、新しく立ち上げるビオ(オーガニック)コスメブランドのソワン(トリートメント)開発にも携わった。お披露目として、半年間美容ジャーナリストを相手に施術するというフランスでのセラピストデビューも飾った。

 ソワンの前後には、カウンセリングを行う。「人様の肌に触れさせて頂き、その方の良くも悪くも秘めている素の部分に触れる。そのために必要とされるのは、お客様のご要望をきちんと聞き、向き合う誠実さなんです」と話す悠紀さんも、フランスで施術を始めた当初は、言葉が通じずにお客様を苛立たせることもあったりと、言葉の壁にぶつかり不安で落ち込むことがあった。所がある日、お客様から「施術中は言葉は必要ないのだから、大丈夫よ」と声をかけてもらったことを境に、自分の腕とソワンをする心の在り方を信じていれば、不安に思うことは何もないと気付く。安心すると同時に、一日も早く一流のセラピストになろうと一層努力を重ねるようになったという。


労働ビザを取得するのには苦労したが、五つ星ホテル内のスパでの実績を積み、2013年には現勤務先マンダリン・オリエンタル・パリへ入社。彼女を評価し信頼して下さるお客様、応援してくれる家族や友達、そして同僚に対しての感謝の気持ちを常に忘れずに、毎日誠実に、丁寧に、お客様の心身の声に耳を傾け肌に触れる。多くのゲストを担当しているため、万が一お顔を覚えていなくても、肌に触れたその感覚で、前回担当した時の会話や心身の状態の記憶が蘇るようなことが頻繁にあるのだという。まるで声を聴いてその持ち主を認識するかのように。そして気づいてみると、ゲストからの指名率や取材を含め、フランス人チームの中でトップセラピストという確たる実績を作り上げていた。

海に教わった生きる術

 感覚を信じてとりあえず飛び込んでみる悠紀さん。そして、その背中を優しく押してくれるのが、夫の友宏さん。フランス語ができずに落ち込んでいた時に「現場に入ればおのずと習得する」と励ましてくれたのも、友宏さん。そしてそれは紛れもなく、大自然という海に身を置くことで感覚的に学んだ生きる術でもある。陰と陽が交わる運命共同体のような二人。ご夫婦の関係そのものがまるで海のように、慈しみに満ちていて微笑ましく、そして羨ましくもなる。


 全て感覚で諭してくれるような海。一瞬でも躊躇すると大きな事故にもつながる、恐ろしい海。まとまった休みが取れると海に行くという悠紀さんが、そこで学ぶのは人生そのもの。そしてもちろん、日常的なストレスがたまる都会から避難するオアシスみたいな場所でもある。都会での暮らしは、ストレスが溜まり呼吸もしづらくなる。さらに、まるで踊っているかの様に滑らかに体重を移動させながらソワンをしているという悠紀さんも、自身の体の動きの硬さや疲労を感じ始めると「海に浸かりたい」「海と遊びたい」と呟いてしまう。疲れを癒してもらうとかエネルギーを補充するのではなく、海は常に「ゼロに戻してくれる」。まるで瞑想するように、波を読み、風を読み、天気を読む。そうやって、海で「遊ばせてもらっている」と無心になれる。 「美容家失格かもしれないけれど、海や太陽の恩恵を受けて、少し日焼けした肌にそばかすがあるんです。でもそれが私の心身のバランスが取れたビアンネートル」とはにかむ悠紀さんも、いずれは「パリを出よう」とも考えているという。その理由はずばり「海がないから」。

ソワンを作り出す喜び

 長い休暇が取れると、友宏さんと共にサーフィン旅行も兼ねて、施術文化のある国々を巡る。現地で、実際に自分の体で体験するその姿勢はパリに飛び込んできた頃と全く変わっていない。スリランカでは、毎日アーユルヴェーダの施術を体感し、受講もした。その土地の、その空気感の中で施術を受けるのが重要なのは、それが五感に働きかけるものだからだ。勤務先のマンダリン・オリエンタルの歴史を辿るためにも訪れたタイでは、自身のオリジナル・トリートメント・メニューを作るための研究もした。そこで発見したのが、日本独自のREIKI。というより、REIKIをメニューに取り入れるという発想だった。


スリランカにて。毎日アーユルヴェーダソワンを担当してくれたセラピストと。

 「霊気」という文字を見ると、スピリチュアルを通り越してオカルトチックな印象を抱いてしまうが、REIKIと横文字で書くと不思議なことに全然違う意味合いを持つように見えてしまう。「お母さんが子供を癒すために手を添える」くらい自然で、いつの間にか忘れてしまいやすい、元々はみんなが持っている心身で感じるヒーリングパワーと解説する猪爪さん。そのREIKIを取り入れた彼女のオリジナル・ソワンは、Qi Life Force と称され、パリのマンダリン・オリエンタルの大人気メニューとなる。体を「浄化」(purification)させ、マッサージにより筋肉をじっくりほぐし活性化させ (vitalisation)、そして最後に「再生」(régénération&remise à neuf)させる。まるで瞑想するように自分の軸を意識し、戻し、中心に気付かせ、リラックスの先のリフレッシュされたプラスの状態で再出発する。好き嫌いではなく、すべてはニュートラルに心地よいと感じられるバランスが大切なのだという。海に浸ってゼロに戻るという悠紀さんのように。


中医学に基づき、各五大要素とそれら全てのバランスを整えるためのマンダリンオリエンタル・スパ・オリジナルオイル。シグナチャートリートメントに使用。ソワンの前後に使用するチべットのTing−sha chimes(鐘)

中医学に基づき、各五大要素とそれら全てのバランスを整えるためのマンダリンオリエンタル・スパ・オリジナルオイル。シグナチャートリートメントに使用。ソワンの前後に使用するチべットのTing−sha chimes(鐘)



 2016年、スパの薦めもあってチャレンジしたコンクール「メイユー・マン・ド・フランス」(フランス、ベストハンドコンクール)では準優勝、「メイユー・スパ・プラティシャン」(フランスで最も素晴らしいセラピスト)では3位入賞という快挙を成し遂げる。


得たものは、揺るぎない強さと自信


 世界が広がった、そして広げてもらったパリ。様々な人種や業種の友人の輪がどんどん広がり、それぞれの歴史や文化を分けてもらっているような感覚が常にある。もちろん仕事の世界も広がり、選択肢も増えた。 

フランスで得たものは?と尋ねると、「強さと自信」と答える悠紀さん。 日本でのキャリアはあるというものの、語学力もフランスで通用する資格もなかったパリ生活当初は、不安や不快に思うこともたくさんあった。人種差別や理不尽な八つ当たり、たくさんの言い訳を並べたてるフランス人。嫌だと思うことがあっても「自分は仕事をしに来ているのだから」と割り切り、海外で日本人として生きる心の強さを認識した。そして今では、誰もが認める最高のセラピスト。


ゲストの貴重なお時間とお体やお肌をお預かりする 各ソワンの必需品。時計、フェイシャル用ブラシ、ワックス脱毛用スパチュラやツィーザー、リフレクソロジー用のバトン 等

ゲストの貴重なお時間と心身をお預かりする 各ソワンの必需品。時計、フェイシャル用ブラシ、スパチュラやツィーザー、リフレクソロジー用のバトン 等

 「将来の夢は、自分のサロンを持つことですか?」とよく聞かれるが、まだそんなイメージは浮かばないのだそう。受賞はもちろん励みになった。しかし何よりもの発見は「自分はソワンを作るのが好きなんだ」ということだった。これからもすべてのご縁を大切に施術を続けながら、沢山のソワンメニューを作り、人様のお役に立ちたいと思っている。



今でも父親と会う時は必ずマッサージをしているという悠紀さん。フランスで磨かれ洗練された技術で世界中のVIPをも唸らせているその腕前も、父親の前だと少女の頃に還るようだ。「ありがとう」と父に感謝してもらえると、「昔と同じように、嬉しい」と微笑む悠紀さんの頬の小さなそばかすが、なんだかとっても眩しい。


スパ・マンダリン・オリエンタル・パリ

The Spa at Mandarin Oriental Paris

251 rue Saint-Honoré, 75001 Paris

施術の予約は 01 70 98 73 35 (英仏語のみ)

もしくは mopar-spa@mohg.com から (日本語可)

猪爪さんを指名することも可能です。ご指名はYUKIで。

ゼロに戻す食生活

 悠紀さんの一日はまず「体をまっさらにしてくれる」という、一杯のお白湯から始まる。基本の食事は、お味噌汁や玄米といった和食。食材はオーガニックショップで調達する自然農法や無農薬の有機栽培食品。無意識のうちに小さい頃の食生活を再現していたのだという。仕事が忙しい日の帰宅は大抵21時を過ぎてしまうが、そんな時は友宏さんが夕食を作って待ってくれていることも。帰宅が早い方が食事を作るという、お互いの仕事のリズムを尊重する夫婦ならではの約束だ。外食には、オーガニックの食材を使った料理を提供しているところを好むが、素直に美味しいと思える心身の声とバランス重視で選ぶ。お酒やコーヒーなどのいわゆる嗜好品を口にしないという悠紀さんだが、息抜きやお祝いしたい時には、美味しいスイーツをハーブティーと一緒にいただき、その時の気分やゆとりの時間を楽しむ。 そして、海に行けないパリの日常では、自宅でヨガや呼吸法で自分の体内のリズムを調整するよう心掛けているのだそう。


猪爪悠紀さんご用達の店

ル・ヴェール・ヴォレ

自然派ビオワインと選び抜かれた美食材で有名。ほぼお酒が飲めない悠紀さんでも、ほんの少し味見するだけ。新鮮な野菜や海の幸、山の幸の食材をいかしたメニューが魅力。

©Le Verre Volé

Le Verre Volé

67 Rue de Lancry, 75010 Paris

01 48 03 17 34

営業時間 12時-14時半 19時-22時半

無休

ローズ・ベーカリー

オーガニック野菜や果物のタルト、スイーツが美味しくて、お気に入り。

Rose Bakery

46 Rue des Martyrs, 75009 Paris

01 42 82 12 80

営業時間 12時-14時半 19時-22時半

無休

Remerciements:

Yuki Inotsume, Tomohiro Inotsume, The Spa at Mandarin Oriental Paris (M. Guillaume Chapalain), Le Verre Volé

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