#ParisMonogatari 

  • Instagramの社会のアイコン
  • Facebook Social Icon

© 2016 by エフ・エム・エス / Emi CHATEAU-HIRASAWA

加藤亨延(記者)

Yukinobu KATO(かとうゆきのぶ) 1980年、愛知県生まれ。英国ロンドン大学クイーン・メアリー政治学部修士課程を修了。日本帰国後は、フリーの記者として数々の雑誌社で活動。2009年に渡仏し、フランスの最新情報を日本媒体向けに発信する。一時期ANN(テレビ朝日)パリ支局に所属した後、再び独立。ヨーロッパ各所での取材や撮影を行う株式会社プレスイグレックを立ち上げて活動する一方で「地球の歩き方」パリ特派員も務める。https://presseigrek.com/

http://tokuhain.arukikata.co.jp/paris/

 

 

 

  

目に入ってくる情景と

足で稼いだパリの最新情報を発信

 

 

   

「パリって素敵だな」。加藤亨延さんのインスタグラムを閲覧していると、ふとそう思ってしまう。取材の仕事で外出する際には一眼レフ・カメラ、ふらりと散歩に出るときにはスマホで風景や情景、モノや人々を撮っては情報サイトやSNS上に投稿。パリをはじめとした欧州都市の情報を次々と発信している。

 

 

 

 

 

モノを書く仕事がしたい

 

 実業家だった曽祖父の影響もあってか、大学は経済学部に進学した加藤亨延さん。卒業する頃には国際関係学と政治学に興味を持つようになる。大学時代のヨーロッパ旅行がきっかけで海外に興味を持ち始めていたこともあって、英国のロンドン大学クイーンメアリーの大学院に留学し、公共政策を学ぶことにした。当初から留学先には英語圏の国を考えていたが、中でも英国を選択することにしたのには理由があった。

 まず単純に、アメリカよりもヨーロッパの方がいいなと思っていたこと。英国は国際関係学という学問の発祥地だということ。政治学の面では、英国は議員内閣制度を採用していること(正確には日本が英国モデルを導入した)、立憲君主制(王制・天皇制)で島国であることなど日本との共通点・類似点が多いことも、留学するにあたって学ぶことが多いと思った。さらに、ブレア政権で権力のバランスが変動した二大政党制の現状を自身の目で見てみたいという好奇心も手伝ったのだとか。その他、単純に大学生の時に初めて行った海外が英国で、現地で感じた、日本ではあまり遭遇しなかった「先にドアを開けて後に通る人を待ってくれる」行動に感激したことも、心のどこかにあったのかもしれないという。

 

 

 修士課程を終えて日本に帰国。自分の将来のことを考えた。海外には常に関心を持っていたので、英国留学の経験・語学のスキルを活かせる仕事に就きたい。また、モノを書くことがしたいと思っていたため、メディアの仕事がよいかもしれないと思った。しかし、留学していたが故、就職活動のタイミングが日本の大学生・大学院生向けのものと合わなかった。また、面接は受けてもそれらの条件を満たすと考えた大手マスコミの新卒採用には引っかからなかった。今、昔の自分を客観的に見れば当時採用されなかったことに納得できる部分もあるが、その当時は悔しい思いをしたという。だからといって、志望しない分野の職に就きたいとは思えなかった。

 そこで、まずはフリーのライターとしてやっていこう、と思い始めた。そして「いずれ、声をかけてもらえるような記者になろう」とも思った。そんな時、たまたま見かけたのが旅行ガイドブック「地球の歩き方」の現地取材を担当するライター募集の求人だった。

 

 

 

フリーの記者になる

 

 募集を出していたのは都内の編集プロダクション。面接などを経て、多数の応募者の中から採用してもらえた。その編集プロダクションの社長が実は英国留学の経験者で、「同じ境遇に親近感を持ってもらえたのかもしれないですね」と思い返す。仕事はライター数人で手分けして、ラオス各所を3週間くらいの期間で調査するという内容だった。国中を取材して回り、日本帰国後、各地で得たデータを元に納品。これが一冊の本となって書店に並んだ。多くのスタッフの中の一人ではあるが、本の中に初めて名前が載った。

 

 

 

 「地球の歩き方」での仕事によって、他の旅行誌からの依頼も入るようになった。さらに週刊誌や月刊誌からも、海外テーマの取材を中心に仕事が来るようになった。結果、就職活動の時に落とされた出版社からも仕事をもらえるようになったのだとか。中でも週刊誌での仕事は大変で、日の当たらない社会の一部分をリサーチするルポライターの仕事もあった。編集者に深夜に呼び出されたりと、体力的にも過酷だったと言う。「記者は時間があってないようなものですから」。

 

 

 

英語圏ではない国へ

 

 こうしてフリーの記者としての仕事もこなしてきたのだが、一方でまた海外に行きたい、と言う気持ちも膨らんでいった。「ロンドンにいたころは、日本に帰りたいといつも思っていたんですけど、戻って来たら来たで、また海外で暮らしてみたいなって思うようになって…」。でも、どうせなら留学の時とは違う場所で違うことがしてみたい。新しいことにチャレンジしてみたい…敢えて英語圏ではない国に行きたい… そこで思いついたのがフランスだった。英国留学中にフランスを訪れたことはあったが、格別な思い入れがあったわけではない。ロンドン時代、南仏旅行に出かけた際に駅構内で流れた「なんてことはない」仏語のアナウンスを聞いて、「これが聞き取れたら、楽しいんだろうな」とも思った。そして英語に加えて仏語ができるようになったら、取れる情報の量も増えて仕事の枠も広がるんだろうな。そういった動機だった。

 

 

 

「なめていた」フランス語

 

 渡仏の準備も兼ねて、週1-2回神楽坂のアンスティチュ・フランセ東京(Institut Français -旧東京日仏学院)に通い、一年が経った頃「そろそろ大丈夫だろう」と、2009年9月、フランス・パリに渡る。

 ツテもなければコネもなく、最初に暮らしたのは古き良きパリの面影が残るパリ5区、学生街の裏側に位置するムフタール界隈の一角にあるアパルトマン。「大家さんがとても良い人で…」、ここには今でも住み続けている。

 週一、二回、一年間日本の語学学校で学んだ程度の仏語が通用するものではないことは分かっていたが、一年くらい経ってそれなりにできるようになってから日本に帰ろう、と考えていた。しかし、実際パリに来てみて、計画通り行きそうにないと痛感。「なめていましたね」と苦笑いする。「今やっとなんとか通じていると思えるようになってきたところです…」。

 

 

フランス語を上達させるため、ソルボンヌ大学の文明講座を受講した。

 

 

 

フランスで、日本の仕事を受ける

 

  パリに来てから、出版社からもらえる仕事は激減した。ある程度覚悟はしていたし、海外にいるから仕方がないと思ってもいたが、それでも日本を発った後も各編集部が覚えてくれていたおかげもあって、それまでのつながりを活かしていくことができたのだという。「最初は大変でしたね。仕事はもらえていたけれど、決して潤沢ではなかったですから…」。

 

 

 渡仏して半年後、地球の歩き方のパリ特派員を任せてもらえることになった。ウェブ版では現地を旅行する際に有用な情報やイベントをいち早く上げる。紙媒体の本誌から声をかけてもらう時は、日本の編集者の指示に合わせて現地で調査をする。どの媒体から声がかかっても、普段から自分の中の引き出しを増やしておかないとそれらに対応できないため、普段からできるだけ様々な場所に赴き、自ら体験することをこころがけるようにした。そうこうしてあっという間に一年が過ぎたのだが、当初予定していた通り、そのまま日本に帰ろうという気にはなれなかった。なぜなら、まだ全然フランスという国を理解できていると思えなかったからだ。その後、もう一年、さらに一年とフランス滞在を延ばしていった。

 

 

 

テロ現場に駆け付ける

 

 2015年2月、加藤さんはそれまで個人で行っていた取材や撮影、シンクタンクに依頼される情報収集などをする仕事を株式会社組織にした。それと並行するように2015年、それまでに加藤さんが手がけたフランス関連の記事を見たANNパリ支局の支局長が、パリ事務所に入らないかと声をかけてくれた。その背景には、2015年1月、パリそして世界を震わせたシャーリー・エブド襲撃事件をはじめとする一連のテロ事件があった。事件発生直後から、一気に人手不足となった支局の新たな人材を探していたのだ。同じメディアでも今まで経験ない分野と媒体で働けるのは記者としてプラスになるかもしれないと思い、自身の会社を引き続き機能させながら、同支局に入社することにした。ただし加藤さんが入局した時期は事態が落ち着いており「平和ですね」と話していたという。しかし、そう言っていれたのも束の間。数か月後の11月には、死者130名、300名以上の負傷者を生んだ「パリ同時多発テロ」が勃発。世界を激震させる出来事で、想像を絶する現場に遭遇することになる。加藤さんの日常は一瞬で激変した。何か起きたら呼び出され、事件が収拾するまで現場に張り付く。

 「週刊誌時代に時間構わず無理に呼び出されたことがあったので、初めて飛び込む人よりは耐性があった気はします」。

 

 

 数泊分の着替えをスーツケースに常備する生活が始まった。立て続けにフランス、そしてヨーロッパで起こる物騒な事件。ブリュッセル、ニースで起こったテロ、フランス東南部で起こった日本人女子大生失踪事件…支局のチームで現場に駆け付ける。現地で得た証言、警察広報の記者会見などの情報を、その場で聴き訳し、映像と共に日本に送る。犯人が逃走中の中、現場に向かうときもあったそうだ。「半端ない臨場感と緊張感でした」と表情が強張った。

 

 

 

 

客観的に、正確な情報を届ける

 

 「なにをすればいいか」「どう動けばいいか」。テレビ局の報道チームの一員として分からないことばかりだったが、とにかく迷惑をかけるわけにはいかない、と常に神経をとがらせ、戦力になるためがむしゃらとなった。近隣諸国にある支局からは応援の人員がどんどん集まってくる。現地の情勢説明はもちろんのこと、彼らのサポートも任された。常に頼れる存在でいなければならない状況でフランスでの技量が試されることとなる。「どうしよう」と戸惑ってばかりだったが、今ここで起こっていることを、遠く離れた日本へ伝える。自分には責任がある、と自身に言い聞かせた。間違った情報を報道するわけにはいかない。

 とにかく「もまれにもまれた」と振り返る。今そこで起きている「事実」を配信していく。忙しすぎて、考える時間も、モヤモヤする時間もない。事件発生すぐは時差8時間の日本へ向けて何度も中継するので、「不規則」と一言では括れないような時間を送った。当時を振り返って「上手く動けずなにやってたんだろう、と悔しくて、そのやるせなさで、いつも家に帰ると布団をかぶって大声出していました」と加藤さん。入局当社は、自分がそれまで積み重ねてきた自信が覆されたような気持ちが否めなかった。しかし、現場で揉まれていくうちに、臨機応変に動く判断力と瞬発力を培い、様々な状況に対応できるようになっていった。

 そして、事態も大分落ち着いてきた2017年、約一年半の勤務を経て、支局を退社することとなった。

 

 

 

 

フランスの日本情報を発信

 

 ANNパリ支局を退社後、2015年に設立していた自身の会社の展開を本格的に開始。テレビ報道で得た経験もあって、活動の場はさらに広がりを見せた。記者になった時からベースとしてきた旅行誌や情報誌の取材、日本の会社や公的機関から依頼される現地調査や現地からのレポート、パリで開かれる歌舞伎や演劇、漫画やアニメといったサブカルチャーイベントや情報のレポート。展覧会、演奏会、上映会、講演会、式典…日程表が瞬く間に埋まってしまう。一人で請け負えないときは、信頼できる仲間に仕事を任せることもある。特に最近では、2018年から2019年にかけて開かれた日仏交流160周年イベント「ジャポニスム2018」期間中、超多忙を極めたのだという。連日会場に足を運び、撮影、取材をこなし、その日のうちに原稿を納品するために寝る間も惜しんで仕事に打ち込んだ。過去に経験した「本当に大変だったこと」に比べれば今回の忙しさなんて、と思いつつ毎回乗り切った。

 

 

 「ジャポニスムのイベントに限らず、日本文化に親しみを感じてくれるフランス人は多いと思います。好意的なので、取材もしやすいです」。敷居が高いと日本では敬遠されそうな伝統文化も、若者向けと思われがちなサブカルチャーとされるイベントも、老若男女関わりなく、とにかく興味があれば気軽に、好奇心旺盛に参加するフランス人。彼らは無意識のうちにも、文化が日常の一部だということを証明している。「フランス人の文化に対する向き合い方と、日本文化に関心を持つ人の多さに驚く日本の読者は多い」と加藤さんは反応を語る。日本からも観客が数多く訪れ、終始その様子を発信した加藤さんの尽力もあり、大盛況を博したジャポニスム2018。日仏交友の更なる発展に貢献したことは間違いないだろう。

 

 

 

家にいるだけでは発見できない

 

 ジャポニスム2018が終了して、少しはゆっくりできるのでは?と問うと、「そんなことはないです」と加藤さん。決してアウトドア派ではないのに、仕事・プライベートと関わらず、毎日どこかしら出掛けている。「目に入ってくる、家にいるだけでは発見できないこと」を撮りため、書き留めているのだ。ウェブでは簡単に情報を得られるが、誰にでも得られる情報しか落ちていない。リアルな感触や感想を述べることも難しい。そのため、気になったものは実際に食べ、見てみたいものは足を運び自分の目で見る。仕事絡みでなくとも、各地で開催されるイベントには顔を出すようにもしている。モットーは「とにかく行く」。形にはならないかもしれないけれど、意外と新しい発見がある。足で稼いでいかなければ。「知識や体験の貯金があると、編集者から提案があった時にぱっと出せます。普段から引き出しを多くもっていると、便利なんです」。

 しかしその分プライベートとの境界線を引くのが難しいのも事実だ。「休みって概念はないですね」。フランス外務省の記者証を所持しているため、文化施設や展示会場などは無料で入場できる。傍から見ると「役得」かもしれないが、それはつまり娯楽も仕事に集約されているということだ。旅先でも休みでも常にメールが追いかけてくる。「ノマドと言えるかもしれないが、どこにいても常に仕事に追いかけられることは決して良いことではない」と溜め息をついた。

 

 

 

これから取り組んでみたいこと

 

 加藤さんには、今まで何度か短く形にしたことはあるものの、「いつか本格的に形にしたい」と考える題材がある。それは、パリで日本の宗教がどのように活動しているのか、ということ。伝統宗教から新興宗教まで、様々な組織や団体がフランスにも支部を置いているのだが、西洋の宗教とは思想はもちろんのこと、その歴史的背景や性質などを含めても類似点を見つける方が困難な中、どのようにその信仰のギャップを埋め、どのように伝道活動を行っているのか。各宗派がどういったアプローチで、「日本的な」考えや信仰を説明しているのか。また、どのような面がフランス人に興味を持たれているのか。「文化を深く理解するために宗教は切っても切り離せません。一つの文化の中で生まれ特異に醸された宗教が、他の文化圏へ持ち出された時にどのような反応を示し、受容・反発・変容していくかに興味があります」。

 パリにすっかり土台が出来上がった今、「しばらくパリにいるつもり」の加藤さんは、時間がかかってもいいので、少しづつ取り組んでいきたい、と考えているのだとか。

 

 

 

おしゃれなんかじゃない

 

 取材の合間、一息つきたいときによく訪れるのが、プランタン・オスマン本店の7階にあるカフェ・ロミ。好きなカプチーノを飲みながら、遠く見えるエッフェル塔を見渡す。なんだかんだ言ってもエッフェル塔を見ると、年月が長くなってパリで暮らすことに慣れてしまってもパリを再確認できるし、カプチーノだとエスプレッソと違って一口で終わらないため、長くエッフェル塔と景色を眺めていられるから。ただ、カフェで「おしゃれに」仕事をすることはあまりなく、作業をするのは専ら自宅。楽な格好でパソコンと向き合っているのだとか。

 一朝一夕あるけれど、「差し引きしてプラスな部分が多くあるからここにいる」パリでの生活。やはり「ごはんが美味しい」「お酒が美味しい」と言うポイントは外せない。とはいいつつも、最近はめっきり外食も減ったという。

 

 「飲んで食べると布団に入りたくなっちゃうので」。

 

 

 

--------------------------------

 

 

加藤亨延さんのお気に入りの店

 

 

カフェ・ロミ

 

プランタン百貨店7階にある人気コーヒー店は、その立地条件から仕事の合間に一服する際立ち寄ることが多い。パリの景色が一気に見渡せる席で、一時仕事のことを忘れる…ことはあるのだろうか。インスタ映えする絶景をSNSにアップすることは欠かさない。

 

 

CAFE LOMI

Coffee shop Printemps du Goût

Printemps de l'Homme 7階
64 boulevard Haussmann - 75009 Paris 

営業時間 

月-土 9時35分 -  20時 (木は20時45分まで)

日 11時 -  19時
 

 

 

Remerciements: 

Yukinobu Kato

 

 

 

 

 

Share on Facebook
Share on Twitter
Please reload

稲沢貴雄(料理人/「CUISINE」共宰)

ChibiRu(手ヅクリ家)

加藤亨延(記者)

1/10
Please reload