#ParisMonogatari 

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© 2016 by エフ・エム・エス / Emi CHATEAU-HIRASAWA

水谷多恵子(小料理屋「TAEKO」主宰)

Taeko MIZUTANI(みずたに たえこ) 東京都まれ。結婚後、夫の赴任先のアルジェリアに渡る。1993年渡仏。お弁当・お惣菜の店「十時や」のオープニングスタッフとして働いた後、日本食材輸入卸売会社に勤務。その後、日本食材専門店、KANAEの共同経営者として活躍。2016年夏に、小料理屋TAEKOをオープンする。

 

  

 

故郷を離れ頑張る人々を包み込む 

 

母親肌とおふくろの味

 

 

 

66歳で、自身で切り盛りする小料理屋・TAEKOの暖簾を掲げた水谷多恵子さん。パリで暮らすようになってから二十数年、日本の食品・食材の販売に深く携わってきたが、飲食店で勤務した経験、ましてや経営をした経験も皆無。そんな彼女が覚悟を決めたその背景には、自立した女性であり続けたいという願いがあった。おふくろの味、そして「パリのお母さん」の温もりを求めて、在パリ日本人がTAEKOの暖簾をくぐる。

 

 

 

 

60歳過ぎてからの人生

 

 水谷多恵子さんが経営、そして切り盛りする小料理屋・TAEKOは、パリ・オペラ座近辺の、カルチエ・ジャポネ(日本人街)と呼ばれる区域の一角に位置する。週末以外、つまり人々が働く日の夜にだけ、野菜を中心とした日本の家庭料理をふるまっている。開店は、2016年夏。当時、水谷さんは66歳。新たなビジネスを始める年齢としては、決して早くはない。そんな思い切った行動の裏には、どんな思いがあったのだろうか。

 60歳になった時、「この先どうやって生きていこうか」と自問したという水谷さん。「10年先の自分がどうあるか、どうなっているのか」。それまで10年スパンで考えていた人生プランも、60代突入してからは5年に切り替えた。「65歳で自分の店を始めよう」と心に決めてからの5年間は、資金集めや情報収集など、コツコツと開店への準備に費やした。実は、その以前に飲食関連の仕事に携わったことはあっても、飲食店で働いた経験はない。無鉄砲な計画だったかもしれないが、この先年金でのんびり暮らすのは「性に合っていない」と確信していたし、「養ってもらう」のではなく、経済的にも社会的にも自立した現代の女性として生きていきたい、と考えぬいた末の決心だった。

 

 

 

 

夫について日本を離れる

 

 高校卒業後、大手商社に就職し、主に経理の仕事をしていたという水谷さん。30歳で同社勤務の商社マンと結婚した後、アルジェリアに転勤となった夫と共に日本を離れる。言葉だけではなく、文化も宗教も気候も…何もかもが日本とはかけ離れ、異なるアルジェリアでは、とにかく苦労し続けたけれど、「夫についていくのは当たり前」と何の抵抗もなく受け止め、悲観的になることなく、3年半もの時を過ごした。日本に無事帰国して間もなくすると、夫が会社を辞めてパリに移住すると言い出した。正直驚いたが、「彼が決めたことなのだから」と受け入れ、住居を売り、日本での生活を清算した後、渡仏したのだった。

 パリで暮らすようになってから再就職した夫を支える傍ら、生活していくためにも「働かなければ」と考えた水谷さん。OVNI(在仏日本人向けのフリーペーパー)で見かけた求人募集に応募し、お弁当やお惣菜を販売する、在パリ日本人の強い味方「十時や」の立ち上げ・オープニングスタッフとして働くようになった。この後、フランス最大規模の日本食材輸入卸売会社で5年ほど務めるのだが、「そろそろ体力の限界かな?」と考えるようになった頃、仕事を通して知り合ったベトナム人に、日本食材店を共同で経営しないか、と声をかけられた。食材店や食品輸入卸での経験、また水谷さんの人柄が買われたことは間違いないだろうが、経営者としての知識は皆無。共同とは言えど、正直自分に経営者が務まるのか…そんな自信はどこにもなかったが、とにかくやってみよう、と飛び込んだ。「言葉や習慣が全然違う異国で、日本を恋しがるのはわかる。でもいつまでも文句ばっかり言っていても仕方がない」…

 2000年、今では在パリ日本人だけではなく、日本食好きのフランス人にも欠かせない存在となった日本食材店、KANAEが看板を上げた。

 

 

 

自分でやろう

 

 「日本発注船が全部のしかかってくる」生活が始まった。仕入れては売りさばき、在庫を管理し、次々とかさばっていく伝票と睨み合った。そして、息をつく暇もないような忙しい日々が10年も経過したある日、とうとう過労で倒れてしまう。体調を整えるためにも、5年ほど現場から離れ「のんびりした」と言う水谷さんだが、その間にもそれまでの実績を買われ、アジア食材店のコンサルタントの仕事を受けるなど、決してじっとしていたわけではない。KANAEもちょくちょく手伝うような余裕も出てきたのだが、そろそろ「人に使われる」のではなく、「自分でやろう」と考えるようになった。「一緒に事業を展開する人と同じ方向を見ていないととっても大変」と経験上熟知していた水谷さんは、在庫管理や銀行との掛け合いで苦労した食材品店ではなく、近そうで実はそうではない「小料理店」案を一人で練っていく。

 

 

 

理想の物件探し

 

 「とにかく苦労したのが、物件探し」と水谷さん。いくつかの絶対に譲れない条件はあった。まずは、店の設え。自分の思い通りに商いをしていくために、給士を雇うことはしたくないと思っていたし、正直そんな余裕もない。長く続けていくことを考慮すると、台所とホールを行き来するために要する体力にも、いつか限界が来るだろう。台所とホールが同フロアにあるということは、「絶対」だった。そしてこの条件をクリアするため、結果的に必須となるのが「煙突」だ。日本人にとっては、懐かしい気持ちになる日本の家庭料理特有の香りも、フランス人客は「変な匂い」と捉えることは少なくない。効果的に機能する換気扇の役割を果たす煙突の存在は、誰からも心地よいと思ってもらえる空間作りには必要不可欠だと確信していた。しかし、煙突があるかないかでは物件の値段が全く違ってくる。条件を満たす物件に出会ったところで、値段の折り合いがつかないうちには、決めたいものも決められない。更なる条件は、立地。目抜き通りから一歩外れてでも、ゆったりと店の前を通ってもらいたい、と思った。

 物件探しを開始して一年。半ば諦めかけてきた頃、「レストラン物件ではない」けれど、と前置きされながらも不動産業者に連れていかれた店舗に足を踏み入れた水谷さんは、「ここだ!」と確信した。「自分のためにある物件だと思いました。これは、出会いだって」と目を輝かせる水谷さん。不動産業者に持ち主を説得するよう拝み倒し、やっとの思いで売買契約を結ぶことができた。内装工事は一か月。何もかもが時間のかかるフランスでは信じられないほどのスピードで進んだ。大きな厨房を囲むカウンター、座席も木材で誂え、人との距離が心地よく感じるように、木枠で天井が低めの空間を室内に作り出した。気学の先生に相談し日取りを決めてもらい、2016年8月末吉日、小料理屋TAEKOが開店した。

 

 

 

店に込める願い

 

 水谷さんが、TAEKOを開店する際に定めた目標は、大きく3つある。

 まずは、ホッとする空間づくり。「パリで、私たちは外国人。一番ほっとするのは自宅なんです。一歩外に出ると常に緊張しているんですよね」。自宅以外でもリラックスできる場所を提供したい、そんな海外在住日本人ならではの思いがあった。二つ目が、「一人でも気軽に立ち寄れる場所」だ。「昔とは違って、今は女性もバリバリ仕事をして当たり前の時代。家庭がある人でもそうで

ない人でも、家に帰る前に一瞬でもほっとできるような、そんな時間を作ってあげたい」。そう話しているのを聞きつけた男性たちも「僕たちだってリラックスできる場所がほしい」と手を挙げたことから、「結果的に」皆がほっとできる場所作りを心掛けるようになった。「要は人が好きなんですね。だから、ただ楽しくいてもらえる場所になったらいいな、って思うようになったんです」。そして最後の一つが、おふくろ肌が顕著に表れるものだ。パリのレストランや料亭などで雇われている料理人たちが、将来独立する際の演習の場として、いわゆるポップアップレストランとしての「場所提供」。期間限定とはいえ、その間の食材の仕入れ、仕込み、調理、そしてサービス、経理まで、料理屋を切り盛りするために必要とされる技量を、実践しながら計り、磨いてもらう。いつか羽ばたいてほしい、そんな母親のような願いを込めて、自分が長年かけて築き上げた場所を提供するのだ。

 

看板は、水谷さんが予てから応援している書道家、MAAYA WAKASUGIさんの作品。

 

 

若者の食生活改善に貢献できたら

 

 食材品店で働いていた頃、日本人の学生たちがインスタントラーメンばかり買っていくのを見ては、心を痛めていたという水谷さん。料理ができない、お金がなくて食材(特に日本のもの)が買えない、時間もない… そんな彼らを見かねてか、賞味期限が近くなると安くなる食品や食材を、彼らのためにとっておいていたのだという。時には、親しくなった学生たちを自宅に招き、家庭料理をふるまうことも。「食べることは大事。野菜をきちんと摂取して、健康的な生活を送ってほしい」。開店前には、彼らを「実験台」に、「この料理にお金を払える?」と試食会を重ねた。また、食材品店に通う日本人のフレンチ・シェフが何を買っていくのだろう、と観察しては、料理のプロが実際自宅で食べるモノ・食べたいモノを分析し、研究。そんな彼らもが気軽に食べに来てくれるような料理を出したい、と切に思った。しかし、料理屋を営んだこともなければ、働いたこともない水谷さん。開店当初、自信も実績もなく、苦労は多かった。「自分の作るお料理は、お金をいただくに値するか、常に悩みながら試行錯誤しました」。

 

 

 

パリの「深夜食堂」

 

 ふるまう料理は、有機栽培野菜中心の家庭料理。カウンターに並べるおばんざいスタイルだ。きんぴらや胡麻和えといった定番のもの以外に、季節の野菜を用いたおかずが数品。人肌恋しい寒い冬日には、暖かい鍋料理や煮込み料理が懐かしい香りと共に迎えてくれ、暖かくなってくると色鮮やかな野菜の品々がずらりと並ぶ。それらの「ほっとするごはん」は、水谷さんご自慢の古伊万里のお皿に美しく盛られてくる。「温かみのある器でほっこりしてもらいたい」。水谷さん流のおもてなしだ。「適当に盛り合わせを作って」と言われることがほとんどで、メニューはない。

 

 

 日本の家庭料理は時間がかかる。オーブンで「かっこいい料理」を出すことはもちろんできるが、水谷さんが提供したいのはそれではない。「とにかくたくさんの野菜を出したい。それがTAEKOの付加価値だとおもっているので」。それでも最近になって、出来立ての暖かいものも出したくなってきた。「焼きそば食べたい人――!」と声を上げると、大体の人が手を挙げてくれる。「パリの深夜食堂みたいになったらいいな」とつぶやく水谷さんに、「作ってーって言ったものを作ってくれるわけじゃないから、「深夜食堂」じゃないじゃん!」と常連客からツッコミが入る。「いいじゃない!ここはパリなんだから」。

 

 

 

「おかあちゃん」に会いたくて

 

 顧客はやはり日本人の常連さんがメイン。「フランス人のお客さんは、おばんざいスタイルだとおなか一杯にならないみたい」。19時から入って軽くつまんでいく人、そして二次会で飲みつまみに来る人と、二回転することが常だ。「男性は単身赴任の方が多いですね。女性は30代後半から40代。一人でいらっしゃる方が多いかしら。一人でいたい人はそっとしておくけれど、思いがけないところで繋がったり、良い出会いもあるみたい」と嬉しそう。料理人の常連も多く、「いっぱいレシピを教えてもらってるんですよ!時には経営のことで叱られたりね」。中には、ただ「おばちゃんと話したい」「相談に乗ってもらいたい」と訪れる人もいる。歯に衣着せぬ物言いで、ずばっと説教もしてくれる水谷さんに「おふくろさん」の姿を重ねているのか。「下町生まれなので、お節介なんでしょうね」、面倒見の良い性分の彼女は頼ってくる人々が「ほっておけない」のだとか。突然日本に一時帰国しなければならない学生さんの猫を一年近く預かったこともあった。相談事を持ち込まれると、「どうしたの?どうしたいの?しっかりしなさいよ」と、時に厳しく、そして優しく包み込む。見習い時代から応援していた料理人がミシュランで一つ星を獲得した当日、祝いの場から抜け出してTAEKOに駆けつけてくれた。「おかんに報告しないと」と誇らしそうに胸を張る彼に、嬉し涙を流したこともあった。

「お客様と友人たちが私の家族なんです」、と幸せそうに微笑む水谷さんの人柄に惹きつけられるように、TAEKOには夜な夜なパリの日本人たちが集うのだ。

 

2019年度フランス版ミシュランで1つ星(レストランERH)を獲得した北村啓太シェフ。独立前のポップアップレストランはTAEKOで。

 

 

私の使命

 

 「誰しもが、何らかの使命を持って生まれてきていると思うんです。今の人生は前世の宿題。この店は、私の使命なんだと思う。だって、なんの邪魔もなくここまで来れたんですから…」。

「持続させることの方が大変」な飲食店経営。正直、客入りの少ない時期もあった。辛いと思ったことも数々あった。それでもなんとか2年が経ち、「すっかり腹をくくったみたい!」とカラッと笑う。「楽しめるようになったんですよ。大好きな人たちと一緒に飲むのが楽しい。自分の自由な時間もあるし、その間は自分の好きなことをする。休みの日はとにかく遊ぶ!楽しまなきゃね」。若者顔負けのバイタリティーで皆を元気にする水谷さんだが、(パリジャンに大人気の)キックボードには絶対に決して乗らない、と言う。「乗らないというか、乗ってはいけないって、皆に反対されたんです」。

パリのおふくろさんに、ケガしてもらうわけにはいかない。「パリの家族」が彼女を見守っている。

 

 

 

 

 

水谷多恵子さんの小料理屋 

 

 

タエコ

TAEKO

4 rue de Port Mahon 
Paris, France 75002

営業時間 19時-22時半

土日定休日

オフィシャルFACEBOOK

 

 

Remerciements: 

Taeko Mizutani 

 

 

 

 

 

 

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