#ParisMonogatari 

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© 2016 by エフ・エム・エス / Emi CHATEAU-HIRASAWA

成田恵里(ネイリスト・ネイルアーティスト)

 

 ERI NARITA(なりた えり) 1986年神奈川県生まれ。大学卒業後、就職した銀行を退職し、ネイルアートを学ぶ。2012年ニューヨークに渡り、サロン業務と併行してファッション業界での経験を積んだ後、帰国。2015年渡仏。ネイルサロンで勤務する傍ら、パリコレ・雑誌・広告のネイルアーティストとして活躍。

https://erinarita.com/

https://www.instagram.com/erinaritanail/

ご予約・お問合せは erinaritanail@gmail.com から。

 

 

 

 

 

 

ファッションの最先端と街角サロンで施す

小さなキャンバスの儚いアート

 

 

成田恵里さんが向き合うのは、爪という小さなキャンバス。彼女が勤務するサロンには、ファッションの最先端、パリコレの舞台裏でネイリストとして活躍する彼女の技術と才能に「爪」を委ね、はっとするようなネイルアートを施してもらうのを楽しむパリジェンヌたちが通いつめる。

 

 

 

 

自分にしかできないことを…

 

  成田恵里さんが、初めてネイルアートを見たのは高校生の時。友達が、アクリルの付け爪の上に施したギラギラの手元を見て、「かわいい!爪にアートができるんだ!」と感激したのと同時に、施術に2万円かかった、と聞かされて衝撃を受けた。「ただの爪なのに…」。休みの日にはよく自分の爪に絵を描くなどして、マニキュアを楽しんでいた。大学生になってからは、バイト代の一部を「ネイル予算」に充て、ネイルサロンにも通った。

 高校からエスカレーター式の大学の法学部に進学し、卒業後には銀行に就職。安定した仕事。毎年必ずもらえるボーナス…。仕事は面白かったけれど、自分でなくてもできることばかり。銀行という組織内の縦社会にもなかなか馴染めないでいたが、それでも「親孝行だと思って」務め、二年も経った頃、自分が重い病気にかかっていると知らされる。入院し、治療を受けるようになるが、ある日呼吸困難に陥り、生死を彷徨った。幸い一命をとりとめたが、これからの自分のことを考えているうちに、「このまま死ぬのは嫌。自分にしかできないことを全うして、生きていきたい」、と強く思うようになった。

 

 

 

 

手先を使う技術職

 

  「銀行ではない」と確信した成田さん。これから「自分らしく」生きていくには、なにを生業にしよう… 手に職をつけたい、技術を身に着けたい。3人の占い師に診てもらったが、全員から「手先を使う技術職が向いている」と言われた。元々、美容系の仕事には興味はあったが、いきなり飛び込んでみるのも恐ろしい。そこで、実際美容関係の技術者として仕事をしている人々に話を聞きに行った。エステ、まつげのエクステ…その中で、ピンと来たのが、ネイルだった。

 

 

 幼稚園から学校教育で英会話を習っていたこともあり、「海外は常に意識してはいた」と成田さん。銀行を退職し、一年半専門学校でネイルの基礎から学んだ。「学費は高かったけれど、上手な先生に技術を学びたくて…」。卒業後、東京のネイルサロンでサロンワークの経験を積む。そんなある日、大好きなレディ・ガガがニューヨークをベースにしていると知り、「彼女のネイルを手掛けるようになれたら!」と突如渡米を決意したのだった。

 ツテもコネもないNYに単身で渡るなんて…なんとも無謀な決断だったかもしれない。それでも、大きな目標に向かってがむしゃらに突き進むことこそが、生きるか死ぬかを経験し、「後悔のない人生を歩みたい」と心に決めた彼女の原動力となったのだろう。

 

 

 

本場アメリカで0から学ぶ

 

  2012年NYに渡り、学生ビザで語学学校に通いながら、0からネイルアートの修行を開始した成田さん。MixBという日本人が使うネット掲示板で「ネイリスト募集」を探した。ネイルアートの本場・NYでは、ネイリストとして活躍する日本人は多い。そして情報も早い。ありがたいことに、「真面目で器用な日本人」というイメージが定着していたこともあり、また英語ができることも手伝って、ファッションショーのネイリスト・アシスタントとして、声がかかるようになった。

 

NY時代、ANNA SUIのバックステージにて。初めてのファッション・ショーの仕事で、「右も左もわからなかった」。

 

 

 地道に経験を積むうちに、「誰かの専属のアシスタントとして付くのが、一番順調にステップアップできる道のりですよ」と言われた。「お金にはならないかもしれないけれど、ファッション業界での働き方を学びたい!」と考えていた成田さんは早速、FACEBOOKや本人のウェブサイトなどを通してたくさんのネイリストにアシスタント志願のメッセージを送った。すると、ある人気ネイリストから返事が来たのだった。

 

 

 

イエスマンでいたい

 

  数々のファッションショー、そしてファッション誌のネイルを手掛ける女性ネイリストのアシスタント… 例えば、モデルが5人以上となると、一人でさばききれなくなるような時に、シェフが5分で仕上げだけできるように、できるだけ短時間で準備をする、といった仕事。地道な作業だったが、とにかく真面目に丁寧にこなした。「この人を雇ってよかった、って思ってもらえるような仕事をしたかった」と語る成田さん。「この仕事の報酬がこれだけ、なのだったら、その報酬分以上の仕事をしよう。また次もお願いしたいと思ってもらいたい。無報酬でも、経験させてもらえるなら、なにかチャンスが転がっているかもしれないから、どんな些細なきっかけでも逃したくはなかったから…って、イエスマンでいることを心掛けて…仕事に全てを捧げいていましたね」とコロコロと笑う。

 同じ現場で知り合った日本人スタッフ(スタイリスト、ヘア、メイクなど)とも、「一緒に何かやろう!」と意気投合し、輪もどんどん広がった。分野の違う人々が力を合わせて作り上げるショーや、作り出すファッションストーリーには、大きな達成感を感じ、心から楽しいと思えた。滞在許可証もアーチストビザに切り替え、確実に実績を積んでいった成田さんには、次第に単独での仕事も入るようになっていった。

 

 

 

実力勝負の世界

 

  NYでは、ショーや雑誌の仕事の他、セレブのネイルも手掛けた。モデルや女優、人気歌手から指名され、施したネイルアートが、彼(女)達のSNS上で発信され、成田さんのインスタグラムのフォロワー数もぐっと増加。それが次の仕事に繋がって…最終的には、エージェントを交えて、オファーを受けるまでに成長した。

 

アメリカ時代。ネイルを手掛けた著名人が次々とSNSで紹介してくれた。

 

 それでも、辛いことは多々あった。新しい現場に入ると、「まず、なめられた」と成田さん。人種差別的なこともあったかもしれないが、それ以前に童顔、小柄、そして若い成田さんは、頼りなく見えたのか。本当にできるのか?と小馬鹿にされているのが、ひしひしと伝わってきた。しかし、一旦仕事人の顔を見せると、彼らの表情ががらりと変わった。それは、しっかりとした技術を持っていれば認めてもらえる、実力社会そのものだった。ファッションの現場でネイリストに求められるもの。「作品」の完成度はもちろんだが、まず一スタッフとして、こうであってほしい、こうしてほしい、などある。例えば、一人のモデルにつく多くのスタッフの一人としてのネイリストだが、手元が写真で大きく見える(例えばビューティーの)撮影など以外では、あまり重要視されにくい。とにかく早く終わらせてほしい、と要望されるため、練習を重ね、同じ美しいものを可能な限り短時間で実現させることを目標とした。事前にイメージトレーニング、そしてシミュレーションをし、現場に一番近いものを具現化させることによって、施術時間を短縮し、他のスタッフの邪魔にならないよう心掛けた。

 

 

 

 

CHANELに憧れて

 

  滞在許可証のことで、一旦日本に帰国したのが2015年。すぐにアメリカに戻ろうと思っていたのだが、日本滞在中に最愛の父が死去。そのまま日本に残り、父親の弔いをするとともに、家族と時間を過ごすことを最優先事項にした。いずれはまたNYに戻って…と考えていたが、ある日、ワーキングホリデー(通称・ワーホリ)制度の存在を知る。海外で一年間働ける!アメリカ以外の地で、ネイリストとして働いてみることができる!すぐに頭に浮かんだのが、フランスだった。

 

憧れの仏女性誌・マダムフィガロで、初めて表紙を飾った。

 

 仕事で仏女性誌のネイルを手掛けたことも数々あった。成田さん以外全員仏人のスタッフと食事をした際、仏語が飛び交い、何も理解できずその独特な雰囲気の輪に入っていけなかったことが印象に残っていた。また、ファッション業界で働くうちに、頂点を極めるためにも、やはりファッションの都フランス・パリで、大きなショーのネイルを手掛けてみたい、と考えるようにもなっていた。中でも特に憧れていたのが、CHANELだ。実際、CHANELのポリッシュなど、プロダクトのファンでもあり、どうせ目指すのならトップブランドを、と思った。

 

プランタン百貨店でのネイルイベントの際。

 

 

人脈に助けられパリコレデビュー

 

  こうして2015年12月、パリに渡る。渡仏前、自身のFACEBOOKに「パリに行きます!」と気軽に投稿すると、NY時代のチーフから連絡があり、パリコレで仕事をしている知人につなげてくれることになった。あまり知られていない小さなブランドばかりだったが、それでもすぐにパリコレで働けることになるとは思ってもいなかっただろう。これも、プロフェッショナルな仕事をし続け、獲得した信頼と人脈があったが故だ。その一方で、知人に教えてもらった「CHANELの専属ネイリストのアニー」という情報を元に、彼女のホームページからコンタクトをとってみるも、返事が来ることはなかった。ファッションの仕事を受ける傍ら、知人の紹介でネイルサロンでも務めるようになる。契約社員からとんとん拍子で正社員として雇ってもらえることになったが、週5日間のフルタイムでの勤務では、サロンワークのみで時間だけが経っていく。「もっともっとファッションの仕事を受けたい」というもやもや感がたまった。

 

 

 

 一方、私生活では、ワーホリ滞在期間中に知り合ったフランス人男性と結婚。ワーホリが終了すると一旦日本に帰国したが、配偶者ビザを取得し、再度パリへ。引き続き、前述のサロンで働くようになる。贔屓にしてくれる顧客も付き、着々と技術も経験値も積んでいったが、ファッションの仕事をもっとやりたい、という思いは募っていくばかり。一年も経つと、思い切って退職し、2018年2月から、フリーランス・ネイリストとして活動することにしたのだった。辞める1か月ほど前から、エージェントやネイル・アーチストに履歴書と作品集を手紙を添えて送った。そこで唯一返事をくれたのが、「アニーさん」。目標としていたCHANELの専属ネイリストだった。

 

CHANEL/2019春夏のファッションショー・バックステージより

 

 

サロンとショーと

 

  「とにかく厳しい」アニーさんのアシスタントとしてついたショーのバックステージでは、常に怒られ、ダメ出しをされた。成田さんよりも格段ベテランの先輩ネイリストたちも、初めて彼女がアニーさんにスタッフの一員として紹介された時こそ、好奇の目で彼女のことを見ていたかもしれないが、「私の仏語も少し上達したからでしょうか?仲良くしてもらえるようになりました!」。仕事終わりに成田さんがお辞儀をして挨拶をすると、「だから日本人って好き!」と微笑むアニーさんと、ニコニコ見ている先輩達がいるのだとか。厳しいことに変わりないが、「とても可愛がっていただいている」アニーさんには、シャネルを始めとする数々の大手メゾン(ブランド)のショー以外の仕事でも師事するようになった。

 

HARPER’S BAZAAR誌、2018年10月号でのGIVENCHY-オート・クチュールのエディトリアルより

 

 

 新人デザイナーのショーでネイルアートも多く手掛けたNYコレクションとは異なり、パリコレでは、そもそも「ネイル」自体用いられないことの方が多い。あったとしても、ネイルアートではなく、ほとんどがナチュラルベースのポリッシュ。「そこにお金をかけること自体がすごい」と驚いた。ファッションの仕事だけでは生活していけないので、サロンでの仕事も続けることにした。パリコレ期間や雑誌等の仕事もフレキシブルに受けれるよう、(道具・ポリッシュ等全て自前で)美容院の一角を借り、報酬は歩合制。ありがたいことに、前職場の顧客も多くついてきてくれた。安定した収入を得ながら、ショーでも生かせる技術、感性、そしてスピードを磨くための修行の場としてのサロン。しかし、シンプルなものを好むパリジェンヌたちは、派手な手元になることで、「表面的」と思われることを恐れているのか、日本やアメリカに比べ、ネイルアートはそこまで受け入れられていないようだった。

 

人気デザインのひとつ。

 

 

 

ネイルアートを広めたい

 

  「フランス人は、定期的にキューティクルケアをされる方が多いので、サロンの需要はあります。ネイルアートを望まれる方はたまにいらっしゃいますけど、大体の方が、セミパーマネントで一色塗りとかですね」と少し寂しそうに成田さん。日本では一般的となっているジェルネイルも、装飾的なネイルアートもフランスでは「付け爪みたい」と敬遠されがちだという。また、地爪の色が見える「クリアネイル」も、抵抗があるとなかなか提案できないのだとか。

 

パリジェンヌ好みのシックなマーブル・ネイルシリーズ

 

 

 しかし中には、NYそしてパリのファッション業界で活躍する成田さんの技術に爪を委ねてくれる顧客もいる。二年来通っているというNさんは、毎月わざわざ郊外から成田さんの元を訪れる。「自分が「女性」と意識するようになってから、手元のケアは欠かしません。素爪だと、まるで裸でいるみたい。ベーシックなものが好きですが、春夏になると爪も開放的になるのかしら!ERIに相談して、素敵なネイルアートを提案してもらっています。主人も娘もとても喜んでくれるんです!」。サロンには、ご主人も娘さんも同行、施術中は車の中で待機しているのだとか。また、ネイルにかかる予算も、月々の家計の中から出しているという。「私が毎月楽しみにしていることですし、主人も私が美しくいたいと思うことをとても尊重してくれています」。

 

 

 また、約1時間の施術中向き合う成田さんは、「月一で会う家族みたい」とNさん。その都度、NY時代の話、日本の話、パリコレの話など聞き、その間旅行しているみたいな気持ちになるのだとか。ある日、成田さんの爪に施された大粒クリスタルのネイルアートに仰天し、早速試してもらったこともあった。「ONGLES JAPONAISES」(直訳すると日本の爪)で検索をかけ、気に入ったものを成田さんにメールで送信。「これ、できるかしら?」と尋ねると、必ず「はい、もちろん」と返ってくる。「ERIは魔法使いみたいなの!」とNさんもどこか誇らしげだ。

 

 

 

巡り合えた、天職

 

  サロンでの仕事で安定感を保ちつつ、ファッションの仕事をもっともっとやっていきたい、と成田さん。経験値も技術も十分にあるプロフェッショナルなネイリストには間違いないのだろうが、自分の仕事に満足できることは「とっても少ない」と言う。「うまくできた!と思っても、常に反省点を探してしまいます。ダメだったところを改善する努力は惜しまないのですが、すぐに違うところを見つけてしまうんです」。雑誌や広告の仕事の際には、撮影後の画像修正が少ない、もしくは全く必要ない作品を目指す。「技術には終わりはないって噛みしめながら」自宅のネイルブーススペースで練習、そして研究を重ねている。辛いことはたくさんあるし、長い長い道のりだと気が遠くなる時もあるけれど、ネイルの仕事は「天職」だと確信もしている。なぜなら、どんなに大変でも、辞めたいと思ったことはただの一度もないのだから。

 

 

 

 そして、続けていくのならパリで、という気持ちも芽生えてきた。フランスのクラシックなスタイルを受け入れている自分を認識し、仏語が上達したことで自信もついたこともあるだろうが、やはり「ベストを見てしまったから、他の場所ではきっともう満足できない。ファッションの都パリで、自分を高めていきたい」と考えるようになったからだろう。「前向きに仕事をしていると、もちろん苦労はあるけれど、間違いなく人生が楽しくなる」。

 

 

 

 頑張って自分の名前を売って、いずれは大手メゾンのチーフ・ネイリストになりたい。ネイルアートをどんどん取り入れれるようになりたい。そしていつかは、自分のネイルサロンをパリで… 「夢がたくさん!」と、コロコロ笑う。

 

 

 

 

 

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成田恵里さん、トークイベントのご案内

 

 

ネイリスト ERI NARITA

トークイベント

12月24日 10時〜12時

渋谷区文化センター大和田

(渋谷駅南口より徒歩5分)

会費 2000円

 

お申し込みは「海外ネイル協会」サイト

またはinfo@jnisa.com まで。

 

 

 

 

Remerciements: 

ERI NARITA

 

 

 

 

 

 

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稲沢貴雄(料理人/「CUISINE」共宰)

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加藤亨延(記者)

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