#ParisMonogatari 

  • Instagramの社会のアイコン
  • Facebook Social Icon

© 2016 by エフ・エム・エス / Emi CHATEAU-HIRASAWA

ChibiRu(手ヅクリ家)

ChibiRu(ちびる) 栃木県生まれ。文化服装学院中退。1993年、娘のために作ったテディベアが専門店の目に留まったことがきっかけで、手ヅクリ家になる。作家活動をする傍ら、2006年からはブログ「学校行かずにフランス語!」を展開。2009年、結婚を機に渡仏。2017年「チビルのパリ・シックなあみぐるみ」が(朝日新聞出版)発売される。 

https://chibiru.com/

https://ecole.kikounette.biz/

 

 

 

  

ちょっと風変わりな手ヅクリ家と

フランス語とパリと愛の物語

 

 

とぼけた表情がどこか懐かしい。手ヅクリ家ChibiRuさんが創る世界で生きるぬいぐるみたちを眺めていると、いつの間にか童心にかえるよう。彼女のアトリエには、そんな懐かしい気持ちでいっぱいにさせてくれる玩具、書籍、イラストや切り抜きを可愛く枠付けしたもの、生地、レース、毛糸などの手芸道具が、所狭しに並べられ、重ねられている。そして、その一角にはありとあらゆるフランス関連の書籍、フランス語の参考書などもぎっちり並べられている。そこには、フランス語に傾倒した女の子が育んだパリ愛が刻まれていた。

 

 

 

 

 

ちょっと風変わりな女の子

 

 高校生になっても人の目を気にすることなくランドセルを担ぐことがあった。なにかと「人と同じが嫌だった」その女の子は、クラスメイトから、ChibiRuとあだ名をつけられた。それが、後に絶大な人気を誇る手作り作家となる彼女の作家名の誕生秘話。オートクチュールの縫子さんだった母親の影響もあって、幼い頃から「作ること」が好きだった。高校卒業後に進んだ文化服装学院では、後に人形を製作する際に役立つことになる洋裁の基本を学ぶのだが、「絵が描きたい」と中退。独学で絵の勉強をしながら、生活していくためにアルバイトをした。その勤務先が、代官山の「お洒落な駄菓子屋さん」ハラッパA。駄菓子だけではなく、可愛くて懐かしくなるようなレトロな玩具で溢れるこの店で働いているうちに、絵だけではなく「古いモノ」にもどんどん惹かれていく。そして、当時好きだったホーローやプラスチックの食器などのベトナム雑貨を、現地にまで買い付けに行きたいと考えるように。バイヤーになるのだったら言葉ができないと… でもベトナム語は難しそう。そこで思いつく。

「そうだ、フランス語を勉強しよう」。

 

 

 

娘のためのテディベア

 

 1992年、独学でフランス語を学ぶようになったChibiRuさん。NHKのフランス語講座で、流ちょうなフランス語を聴く度に「きれいだなー」と憧れを募らせた。一本のテープを暗記してしまうまで聴き込む。夢中になるとすっかりのめり込んでしまう凝り性な彼女の部屋には、次から次へと入手されるテープが山のように積まれていった。溜まっていくばかりで、もう「覚えられない」、そう自覚した彼女は一旦フランス語をやめ、自分の活動に集中することにした。生まれたばかりの娘に作ったお人形がテディベア専門店の店主の目に付き、「うちに置いてみませんか」と声をかけられたことがきっかけで、1993年から手作り作家として活動を開始。古着の切れ端やヴィンテージの布などでクマのぬいぐるみを制作し、あっという間に手ヅクリ作家としての人気に火が付いた。全ての作品が手作り。黙々とこなす仕事が多いように思えるが、作業中もいつも娘がとなりにいたので、孤独を感じたことはなく、出来上がったばかりの人形がまだ赤ん坊の娘の遊び道具となったのだとか。一体作る度に愛着も生まれてくるのか、写真を見せてくれながら「この子は…」とまるで我が子のように、包み込むような柔らかい眼差しに、心がぬくもる。

 

 

 

「フランスに行きなさい」

 

 手作り作家として忙しくしていたある日のことだ。母親がいきつけにしていたカフェに初めて足を踏み入れた。すると、奥に座っていた人物に「ちょっと来なさい」と手招きをされたのだ。風水の先生というその人に「何か相談したいことはないですか」と問われ、特には思いつかないがせっかくなので、「自分の仕事は今後どうなるのでしょうか」と尋ねてみることに。すると「ニューヨークに行きなさい」と言われたのだ。「ニューヨークに行くとどうなるのでしょうか?」。「事業が大きくなって儲かります」。しかし、お金にも名声にも興味がなかったChibiRuさんは、「私はお金よりも、質を追求していきたいと思っています」と言った。すると、「だったらパリに行きなさい」と進言され、行動を起こす吉日まで享受してくれたのだった。たまたまその場に居合わせた母も、そして当時のアシスタントもが「行くべきだ」と、ChibiRuさんの背中を押してくれた。仕事は多忙を極めていたが、母たちの手を借りて無事納品が叶い、1998年5月、生まれて初めての海外旅行・パリ行きを決行したのだった。「今から考えると、あの風水の先生に言われた通りにしたんです。今パリでこうして生活しているのも、全てその人との出会いがあったからなんですよ」。

 

 

初めてのパリで。

 

 

常識が変わった、パリ

 

 初めての海外旅行だったが、旅行代理店などの力を借りず、全て自分で手配した、と誇らしげにChibiRuさん。ガイドブックで見た素敵なプチホテルに電話をかけ、以前少しかじった程度のフランス語でだったけれど、一生懸命滞在を希望した。「いたずらと思われて切られてばかりで…10軒目くらいで、やっと私のフランス語が通じて、予約ができたんです!」。パリに行っても、相手に言われたことを理解して返すことができるようにと、ガイドブックに載っていた会話は丸暗記。準備周到で挑んだパリ旅行。

 

はじめてのパリ旅行で履いていた靴。ボロボロになってしまったけれど思い出の品として大事にとってある。

 

 

 初めてのパリで「常識が変わった」とChibiRuさん。建物、街並み… こんな環境で育ったら自然と芸術家になるんだろうな… 8日間の滞在期間中、エッフェル塔やノートルダム寺院等のザ・観光地は回らず、デパートや蚤の市、ブロカントなどばかりを巡り歩いた。中でも4日間足繁く通い詰めた場所があるのだという。それは、モンマルトルにあるパリきっての生地店エリア。パリ近辺エリアの最大生地市場、Marché Saint-Pierre (マルシェ・サン・ピエール)をはじめとする数々の店で、店内に溢れるように積まれる生地を飽きることなく見て回っては布、レース、ボタンなどたっぷり買い込んだ。蚤の市の中でも特に気に入ったクリニャンクールでも、ヴィンテージの布やぬいぐるみ、テディベアなどの買い物を楽しみ、日本に帰国したのだった。 

 

はじめてパリを訪れた際に買った「当時気に入っていた」花柄のスカートとカーテン。なかなか鋏をいれることができないまま大事に保管してある。

 

 

フランス語にのめりこむ

 

 パリから戻ってから手作り作家としての活動も再開。しかししばらく経つと、祖父の容態が悪化。入院してからの2か月間、病院でつきっきりで看病しているうちに、「だんだん仕事もこなくなった」。祖父が他界し、少し落ち着いてからは、アルバイトをしながら休みの日、休みでない日でも就業後にフランス語学校に通い詰めたというChibiRuさん。駅前留学はなんだか肌に合わなかったのだが、会話に重みを置く小さな学校を見つけ、長い時には1日6時間は居座り基礎を叩きこんでもらった。「はまったらとことんのめり込むタイプなんです!」と少女のように笑う。しかし、二か月も経つと資金が底をついてしまったこの頃になるとインターネットを使うようになっていた彼女は、「これを使わない手はない」と思い、メッセンジャーのデータベースで検索をかけヒットした「フランス人」に手当たり次第メールを送った。

「友達になってください。メル友になってください」。

 

 

 約100件送ったメールに対して、返事をくれたのは僅か5人ほど。それでも「フランス人のメル友ゲット!」と狂喜したChibiRuさん。知り合ったフランス人たちと積極的にメール交換をし、フランス語もめきめき上達した。さらにその後、「日仏交友コミュニティー」を立ち上げると、フランスに興味のある日本人、そして日本に興味のあるフランス人が多数集まり、伝言板形式で交友するようになった。その中で「友達」になった男の子ニコラが「親友を連れて日本に遊びに行きたいから、案内してくれる?」と言ってきた。その来日計画は結局実現されなかったのだが、その「親友」なる人物、アントワーヌさんが後のChibiRuさんの夫となる。でも、それはまだ大分後の話。

 

 

 

メールで芽生えた愛

 

 2002年秋、当時9歳だった娘と共に一か月ほどパリに滞在した。「フランスで生活をしてみたかったんです。実際住んでみて、フランス語を上達させたいと思って」。相手の言ってることが全て理解できたわけではなかったけれど、娘と一緒に近所のパン屋にお買い物に行ったりと普通に暮らすうちに、パリの魅力を再確認した。「ぞっこんになりましたね」とChibiRuさん。「よその子でも叱るし、冗談にも乗ってくるし…フランス人が、昔の近所のおじさんやおばさんみたいで好きでした」。イエス・ノーははっきりしているけれど、イエスと言ったらとことん面倒をみてくれる。「毎日通った」レース屋さんに「今日はどうしてた?」と尋ねられるようになると、嬉しくてたまらなくなった。

 

 

 パリ愛はどんどん大きくなった。フランス語ももっと上達させたい。もっとフランスのことを知りたい。そんな思いから、DELFを受験しよう、そして優勝すると一年間フランスに留学させてもらえるという、フランス語で歌うコンテストに参加しよう!と思い立つ。ここで、彼女の支えとなるのがアントワーヌさん。それまでは、週に一度か二度、チャットで挨拶をする程度の「お付き合い」だった彼に相談すると、「一緒に練習しよう」と言ってくれたのだ。フランス語を教えてくれたのはもちろんのこと、ChibiRuさんが選んだ曲のギター伴奏をMP3で送ってくれた彼とのメール文通が始まって2か月経った頃には、顔を見たこともなければ声を聞いたこともない彼にすっかり「惚れていた」とChibiRuさん。彼に自分の気持ちをフランス語で「文字を白色にして」伝えると、初めは戸惑っていた彼も次第にChibiRuさんへ思いを寄せてくれるようになったのだとか。 

 

アントワーヌさんと。

 

 

夫婦で綴るフランス語講座

 

 4か月後、フランスに渡り、アントワーヌさんとの初めての面会が叶ったChibiRuさん。そこから4年間、フランスと日本を行き来しながら遠距離恋愛を続けた。予てからのChibiRuさんのフランス語熱はどんどん加熱し、2006年からはブログ「学校行かずにフランス語!」を開始。内容は、アントワーヌさん扮する「師匠」と「私」が「おもしろおかしく」する会話を録音したものをモンタージュ、ポッドキャストにして、更新するというもの。自身の体験や覚えたてのことを共有するために始めたブログだったが、本業の方が手につかなくなるほど熱中し、夢中で取り組んだのだ。大々的に展開していたのではなかったにも関わらず、一日に1500人もの人が訪れる人気ブログにまでなった。(現在も更新されています。詳しくはプロフィール内のホームページより)。

2009年にはアントワーヌさんと結婚。これを機に、ChibiRuさんがフランスに住み移ることとなった。

 

 

 

異なる人形文化

 

 フランスで作家として活動することは考えていなかったというChibiRuさん。しかし、創作の神様は、彼女の才能とその世界観が埋もれさせてしまうことを許さなかったのか、思いがけないほど早くに活動再開のきっかけを与えてくれた。ブログにコメントを残してくれたある人と意気投合し、「一緒に展示会に出よう!」と誘われたのだ。はじめは断るつもりでいたが、アントワーヌさんに強く背中を押され、「やってみようかな」と思えるようになったChibiRuさん。この時「もう何年も針を持っていなかった」ほど、手作りの世界から離れていたというが、一か月後に迫る展示販売会の準備であみぐるみ、かぎ針編みのネックウォーマーなど作っていくうち「どんどん楽しくなっていった」。

 

 

 現在、あみぐるみ、レース編みと布を合わせた雑貨、子供服、テディベア、イラスト…手作りの世界で以前と変わらない活躍を見せる彼女。しかし、フランスで作家活動をするようになって、あるものを作ることが劇的に減ったと言う。それがなんと、人形。その理由は、日本とフランス間で異なる人形文化にあった。ChibiRuさん曰く、フランスでは人形は飾るのではなく、持つもの。日本のように、美しい雛人形を飾り愛でるのではなく、遊び道具、いわば玩具なのだ。「DOUDOU(子供のぬいぐるみ)扱いなので、どうしても安価にされてしまうんです」。何時間もかけてやっと完成する人形。まるで我が子のように愛しく思う人形たちが、うそのようにどんどん値切られていくのを見るのは、ChibiRuさんにとってとても辛いことだった。

 

 

 活動を申告する際にも、人形作家ではなく玩具製造者と記述することを余儀なくされた。「フランスでは人形作りは芸術ではない、と思われています。日本では一つの工芸として認識されているのに…」。作家として、人形を製作することはめっきり減ってしまったが、「でもあみぐるみは作り続けたい」とフランス人相手に教室を開き、作り方を教えるようになった。「フランス人は、あまり器用でない方の方が多いですね。最初の輪編みで二時間かかることもあります。でも器用でない分だけ一生懸命に練習を重ねて、最後にはとてもうまくなっていることが多いんです。それに、ファンシーな色使いが多かったりと、意外と新鮮で!」と楽しそうだ。

 

 

 

パリならではのあみぐるみ作り

 

 2017年秋、日本の書店に「チビルのパリ・シックなあみぐるみ」という本が並んだ。ろばのロベール、たこのジャン・ピエール、シャム猫のマドモアゼル・イヴォンヌ…ChibiRuさんが編み出す愉快なパリっ子動物たちが、パリらしいシックな色合いで次々と登場し、それぞれの物語を紹介してくれる。見ているだけでなんだか懐かしい気もちにさせてくれる作品一つ一つの作り方が丁寧に説明されていて、ChibiRuさんの愛が詰め込まれているのがよく伝わってくる。パリで発表することが難しいあみぐるみたちの見せ場を作ってあげたい、そんな親心から自身で企画を立ち上げ、出版社に持ち込んだ。これだ、と思うとすぐに行動に移す様は、フランス語にはまり語学学校に通い詰めた頃を思い起こさせる。この本はその後、中国語、韓国語でも翻訳され、そして2018年にはとうとうフランスの出版社からも発売されたのだった。

 

 

 「編みたいときに編んで、作りたいときに作って」。生地、ボタン、毛糸…そして作りかけの作品たちで溢れるアトリエで、自由気ままに、マイペースに制作活動を続けているChibiRuさん。蚤の市には今でも頻繁に出向いては、新しい生地を買い足すので、生地コレクションはどんどん増える一方。アトリエはまるで小さな手芸用品店のようだ。しかし、初めてパリを訪れた際に買った生地だけは、いまだに鋏を入れることができないでいる。「思い出をそのままとっておきたいので」。

 まるで初恋を思い返すように、頬を紅くする。ChibiRuさんとパリの物語は愛で溢れている。

 

 

 

--------------------------------

 

 

ChibiRuさんご用達の手芸店

 

 

MARCHE SAINT PIERRE

マルシェ・サン・ピエール

 

モンマルトル地区、サクレクール寺院の足元にある生地のデパート。所是ましに積まれた色とりどりの布地の山に圧倒されてしまう。良質の布地を求めて世界中からデザイナーが集う老舗にも拘らず、値段も手頃なのも魅力の一つ。

2 rue Charles Nodier 75018 Paris

電話番号:+33(0)1-4606-9225

営業時間: 10時~18時半(土曜は19時まで)

定休日:日曜

アクセス:地下鉄2番線「Anvers(アンヴェール)」より徒歩すぐ

http://www.marchesaintpierre.com


 

 

 

MODE ET TRAVAUX

モード・エ・トラヴォー

 

レトロな柄の生地、糸、手芸まわりの小物等が安価で買える。品そろえもぴか一。

10 Rue de la Pépinière, 75008 Paris
電話番号:+33(0)01 43 87 10 07
営業時間: 10時~19時
定休日:日曜
メトロ SAINT LAZARE
https://www.atelierdescoupons.fr/

 

 

 

ULTRAMOD

ウルトラモード

 

ヴィンテージのもの、他ではなかなか手に入らないレアもの目当てに訪れる店。様々な柄や素材のリボン、ボタンなどが手に入る。

4 Rue de Choiseul, 75002 Paris
電話番号:+33(0)01 42 96 98 30
営業時間: 10時~18時
定休日:土日
メトロ QUATRE SEPTEMBRE
https://www.atelierdescoupons.fr/

 

 

 

ENTREE DES FOURNISSEURS

アントレ・デ・フーニスール

 

いわゆるかわいらしいモノ、しゃれたものが欲しい時に行く店。レースやボタンが豊富。

8 Rue des Francs Bourgeois, 75003 Paris
電話番号:+33(0)01 48 87 58 98
営業時間: 10時半~19時
定休日:日
メトロ SAINT PAUL
https://www.lamercerieparisienne.com/fr/

 

 

 

PHILDAR

フィルダー

 

ちょっぴりくすみ気味、フランスチックな色の種類が多くそろっている毛糸メーカー。毛の質もよく、価格も手頃なので愛用している。

96 Rue de Provence, 75009 Paris (他パリ市内にも店舗あり)
電話番号:+33(0)01 42 81 08 83
営業時間: 10時~19時
定休日:日
メトロ SAINT LAZARE
https://www.phildar.fr/

 

 

 

Remerciements: 

ChibiRu

 

 

 

 

Share on Facebook
Share on Twitter
Please reload

大島莉紗(ヴァイオリニスト)

稲沢貴雄(料理人/「CUISINE」共宰)

ChibiRu(手ヅクリ家)

1/10
Please reload