#ParisMonogatari 

  • Instagramの社会のアイコン
  • Facebook Social Icon

© 2016 by エフ・エム・エス / Emi CHATEAU-HIRASAWA

平川麻理子(ASSA SPA / ASSA CAFE主宰)

 

Mariko Hirakawa (ひらかわまりこ) 東京生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業後、1994年に渡仏しパリ第3大学で映画の経済学(修士課程)を学ぶ。1997年~2006年、パリをベースに日本の映画配給会社のためにインディペンデント映画の買付、日本映画の海外セールス、プロモーションを行う。2006年~2009年、パリのヨウジ・ヤマモト社にてヨーロッパ直営店の販売促進に従事。2011年5月、パリ初の指圧専門店「ASSA SPA」をオープン。2018年1月には、健康的なお弁当を提供する「ASSA CAFE」を開店予定。

 

 

 

「ほっとする」リーブ・ゴーシュより発信

日本の癒しによる「体のメンテナンス」

 

 

 パリ左岸、サンジェルマン界隈の裏通りにひっそりと門を構えるパリ唯一の指圧専門店・ASSA。18世紀に建てられた石造りの空間を活かしつつ、京都町屋風の雰囲気を再現し、至る所に日本特有の「おもてなし」の心をちりばめ、お客様の「癒し」を提供することに尽力する平川麻理子さん。愛するリーブ・ゴーシュ(パリ左岸)を拠点に、自身に秘めた「可能性」を見出すための鍛錬を重ねながらも、新しいことにチャレンジし続けている。

 

 

 

 

 

アート映画の首都へ

 

  東京大学在学中に、映画評論家の蓮實重彦教授が当時講じていた映画論ゼミに参加し、同級生と短編映画を撮影するなど、映画に「傾倒していた」という平川麻理子さん。学芸員の資格を取得し、卒業後は美術館に勤めるという道もあったのだが、それよりも「映画が楽しい。映画の勉強がしたい」と言う気持ちが大きくなっていた。

当時、日本ではアート映画の全盛期でもあり、ミニシアターなどではフランスをはじめとするヨーロッパの芸術映画が多く上映されていた。フランス文学者でもある蓮實教授の影響もあって、ゴダールやトリュフォーといったフランス人映画監督の映画の世界にどっぷり浸かっていたという平川さん。そんな彼女が留学先に選んだのが、フランス、パリ。アメリカと言う選択肢ももちろんあったのだが、「生意気だったので、アメリカ映画よりも、ヨーロッパ映画がかっこいいと思っていた」のだとか。そのヨーロッパ映画界の中心にフランスがあり、映画を学ぶにはパリに行くのが最適だと考えた。また、アメリカの大学で映画を学ぶとなると、目が飛び出るほど高い学費がかかることに対して、パリのラ・フェミス(LA FEMIS)という国立の映画学校の存在は、学費も安く大きな魅力でもあった。

 

 

 

悔しいから、頑張る

 

  1994年、大学を卒業後、フランスに渡り、早速ラ・フェミスの受験勉強を開始。その頃は「とにかく勉強に必死で」、パリでの生活を楽しんだという記憶はあまり残っていないのだという。外国人枠での入学は、奨学金を受ける者にしか認められないというルールがあり、「映画の勉強に、3年間の奨学金を出す機関は日本には当時存在しなかった」ため、他のフランス人と同じ「普通枠」での条件の元での入学試験。もちろん、全ての試験にフランス語が用いられていたため、とにかく必死で勉強した。「フランス語ができないというだけで、対等に話をしてもらえない。悔しい思いばかりしていました」。残念ながら「生まれて初めて受験に失敗」し、急遽パリ第4大学(美術史科)に登録。翌年第3大学の映画科に編入し、映画の経済学を学ぶようになる。

 学科修了に向けて「日本映画を経済の視点から見る」という題材の論文を執筆するため、日本の様々な映画会社に取材を行った。その中のある配給会社からスカウトされ、97年からはパリを拠点に映画を買い付ける、フリーランスのバイヤーとして働くこととなった。

 

 

2001年、「Eloge de l’amour」の日本公開のためにスイスのゴダール監督を訪ねて

 

 

年間200本の映画を観る

 

 映画祭と言われると、レッドカーペットを美しい女優達が歩く、華やかなイメージがあるが、その裏では世界中から配給会社が集まる映画売買の過酷なビジネスの世界が展開されている。

 フランスでヒットしたからと言って、必ずしも日本で当るとは限らない。例えば、フランスで受けやすいコメディーは、独特なユーモアが理解されにくいため、日本向けには買い付けにくい。また、「子供が出演する泣かせもの」が受けるなどという、日本独自のマーケットに合わせての選択が必要となる。予算の問題もあり、必ずしも平川さんが好きな映画を提案できたわけではないが、配給会社のカラーに合わせて(「作家主義的」、「サブカルチャー的」など)、最終的に買うと定めた映画の日本での上映権、その他DVDの配給権、またテレビでの放映権譲渡に当たっての交渉、契約に携わった。また、監督、キャストの来日、配給の宣伝に同行することも多々あった。映画界で働いた約10年間の間、年間200本は映画を観ていたのだとか。

 2006年には、以前からの夢であった映画プロデュースにも挑戦。日仏カナダ共同制作、フランス人の監督、そして日本人キャストが集結して完成したこの映画製作の経験が、想像以上に大変だったこともあり、「映画はもういいかな」とどこか吹っ切りも付いたのでは、と振り返る。

 

1999年、デヴィッド・リンチ監督とカンヌ映画祭で。

 

 

クリエイションを売る

 

  21世紀に突入すると、映画業界の衰退が顕著に表れてくる。娯楽の多様化によって、かつてのその代表格でもあった「映画」も、数多くある中の一つの選択肢として埋もれてしまったのか。スマートフォンの普及で、だれでも気軽に「映画を作れる」時代になってきた。つまるところ、消費者の傾向が変化したのだ。そして、日本でも単館映画が多く製作されるようになり、海外のインディペンデント映画のマーケットが縮小してしまう。結果、小さな配給会社は次々と倒産し、ヨーロッパ映画は行き場がなくなってしまう。

 1997年から約10年間携わった仕事だったが、ここできっぱりと映画の世界から離れることを決意する平川さんは、その後、縁あって、ヨウジ・ヤマモトで働くことになった。ヨーロッパにおける顧客獲得・管理を目標とした、販売促進のツールを考えるという仕事。また、ヨーロッパ圏内での直営店のオープニングにも深くかかわり、「店を出す」ノウハウも習得した。

 今までとは全く異なった職種・業界で、新たなキャリアを積むことに対して、戸惑いはなかったのかという問いに対し、「『映画を売る』ことから、『服を売る』ことになったというだけ。意匠性のある「作品」として、何ら変わりはない」と平川さん。マーケティングを行わない同社では、山本耀司氏の気の向くまま、シーズンごとに展開される彼のクリエイションを、心待ちにしている顧客に届けている。実績も才能も十分に評価されている山本氏は、「リスペクトされるべき人」とされ、彼の洋服を纏うことによって、自己表現を楽しむフランス人が多いことを実感するのは、「日本人としてとても嬉しいこと」だったのだとか。

 

 

 

 

新しいことをやってみたら?

 

  2009年、ヨウジ・ヤマモト本社が民事再生の道を辿ることとなり、ヨーロッパ社の人員は縮小。そこで、平川さんはリストラされることになるのだが、「あの状況で自分から辞めていくのはなかなか大変。やめさせてもらえることは、かえってありがたかった」と思えたのは、潔く次のステップを踏み切ることができるから。

 「チョコレートを作りたい」と平川さんより一足先に辞職していった元同僚に、「新しいことをやったらどうですか?」と気軽に言われたことがきっかけとなり、平川さんの中で小さな革命が起こる。正直、自分にはサラリーマンの生活は向いていないと気づいていたという彼女。今度は「自分のビジネス」を興そうと思った。

 

「日本人として」、パリで何ができるのだろう。

 

元来、腰痛持ちでもあった。また、特に映画の仕事に携わっている頃、長時間座りっぱなしの日が続くため、頻繁にマッサージを受けていた。元々、「健康」や「美容」といったテーマに興味はあったのだが、施術を受けるうち、また注意して観察している内に、実はパリには指圧の専門店が存在しないことに気づく。

 

「これだ」。

 

 

 

知らないから、できる

 

  2010年から約一年間の準備期間の間に、マーケット・リサーチ、ビジネスプランなどを堅実に作り上げ、無事銀行の融資も受けることとなった。そして、2011年5月、パリ初の指圧専門店として、「ASSA SPA」がオープンした。

 「自分ではマッサージをできないのに、指圧の専門店をやろうと思った。今から考えたら、何も知らないのによくやったな、って笑っちゃうんですけど、多分、知らなかったからできたんだと思うのです」と平川さん。

 パリでは技術者(施術者)を探すのがどんなに大変か、想像したこともなかった平川さん。フリーペーパーに広告を出し根気よく探したが、そう簡単には見つからない。だからと言って、日本からわざわざ招聘できるほど経済的余裕もない。技術だけではなく、フランス語ができる施術者でないと、フランス人のお客様の応対は難しい… なんとか開店時には間に合ったが、その後のスタッフの入れ替わりも激しく、「人事は常に悩みの種」なのだとか。当初は「マッサージができる人を雇えばいい」と、平川さん自身は全くできなかった施術だが、必要に駆られ、空いた時間に練習を重ねるようになった。1年経った頃には技術を身に着け、自分でも施術することができるようになったのだとか。

 

 

 

 

日本の「心」で癒す

 

  星の数ほどあるマッサージ店の中から、「ASSA」を選んでもらうには、どうしたら良いのか。開店当初はお客様の入らない日が続き、どうすればお客様に選んでもらえるのだろうかと考え続けた。

 「パリでは買物に行っても、お願いして買わせてもらってる、という印象を受ける時が多い。そういう時、お客様第一と考える日本のサービスって本当にすごいって、改めて思うんです」。そんな見解もあってか、ASSAでは「日本のおもてなしの心」でサービスすることを心掛けるようにした。

 ASSAの空間では、お客様を外世界のストレスから解放し、「ほっとしていただく」ために、時には目にも見えないような細かいことにまで心を配っている。その中のひとつが、「毎朝の掃除」。お客様の健康に深く関わる場所では、「汚い」はもってのほか、「普通」と言う印象でさえも許されない。徹底した清潔感を保つため、毎朝隅々まで雑巾がけをし、ピカピカの状態でお客様をもてなす。お客様の肌に直に触れるタオルもパジャマも、厳選されたオーガニック素材のものを用意し、一服ついていただくときには、最高級の日本茶を給する。パリにいながらも「日本に旅する」錯覚を起させるような、そんな経験を提供できるよう心掛けているのだとか。

 

 

 玄関近くには塩を盛り、壁には「毎年神社でいただいてくる」お札を祀る。「受験の時でさえ、神頼みはしなかったのに、事業を始めてからは毎年お参りするようになりました。万事を尽くして神頼み、です」と笑う。お客様は、外世界から離脱するように、まるで「儀式のように」、ウナギの寝床のような奥深い空間を柔らかく仕切る暖簾をくぐっていく。小さな心遣いが凛と際立つ空間で居心地よく過ごしてくれるお客様と、日本文化についての話に花を咲かせることもあるとのこと。こうした日々の「見えない」努力を重ねることで、開店から2年経つ頃には、常連顧客もつき今では「お客様をお断わりする」日もあるのだとか。

 

 

©miho_saji

 

ワンステップ先を見る

 

  当初は、第一号店を軌道に乗せたら、二号店・三号店、と広げていきたいと考えていた。しかし、技術者が少なく、拡大していくのは困難、そして、一時間のマッサージでできることには限界があると認識した平川さん。ASSAの顧客には、忙しくて自身の食生活をケアできない人が多いという見解から、ヘルシーな食事を提供し、マッサージ同様お客様の「体のメンテナンス」に携わっていきたい、と考えた。「体は食べるものでできているのだから」。

 マッサージ店のすぐ近く、セーヌ川沿いの店舗を改装し、バランスの良いお弁当を買い求めやすい価格で提供するASSA CAFEは、2018年2月上句に開店が予定されている。家庭を持つ女性スタッフが働きやすいように、まずは昼のみの営業展開。そこには、お客様に「健康になってもらいたい」という実業家としての強い願いと同じくらい、従業員にとって「働きやすい環境」を提供していきたい、と思う経営者の思いがある。

 

 次から次へと、新たなことにチャレンジしている平川さん。実は既に、「次の次まで」考えているのだとか。

「断食道場がやりたいんです」、とまるでいたずらっ子のように笑う。

「単に山籠もりしてストイックに断食する、というのではなくて。山が見えるところに旅館を建設し、温泉のようなお風呂があり、ヨガや瞑想もできるような場所…」。次の「夢」への想いが溢れ出てくる。

 

 

可能性を「つぶさない」社会

 

  常に自分のやりたいことに耳を傾け、自身の「可能性」を信じ突き進んできた平川さん。「女として」「こうしなければいけない」と暗に様々なプレッシャーを示してくる日本社会が息苦しく、それから解放されるべく大学を卒業後は「日本を捨て」、フランスで暮らすようになってからは、「精神的な自由」を満喫する生活を謳歌している。フランスでは、結婚していなくても、子供を作らなくても、それも立派な選択として認められる。また、新しいことにチャレンジすることに対しても、「いいじゃない!」と応援してくれる。ポジティブに「やりたいことができる自由」を獲得し、「やりたいことを行動に移す」大胆さをも身につけた平川さん。もちろん、自信に満ちたその表情の裏には、大変な努力もあっただろう。「自由は高くつきますから」と。その努力あっての現在の活躍がある。

 若い世代の女の子と話していると、学歴が高ければ高いほど、びっくりするほど消極的に、自身の将来を見つめる人が多いことに衝撃を受けた。「高学歴女子は幸せになれない」と謳う書籍が発売されるなど、彼女らの可能性を芽からつぶす傾向がある日本社会を疑問視する。「そんなにつらいのだったら、例えば外国に出て自分の可能性を伸ばす方法を探せばいい」。彼女たちの「頑張るモチベーション」をあげていきたい、と熱く語る彼女は、悩める高学歴女子の道標のようだ。

 

 

自分を培う

 

  「色々あるけれど、なんやかんや言いながらも、労働者に年間5週間の有給を与えるフランスはすごいと思うんです」と平川さん。

 経営者の彼女でさえも、夏は2週間、そして冬は1週間ときっちり休みを取り、バカンスに出かける。夏は専ら、ヨーロッパの暖かいリゾート地に赴き、運動をし、そして美味しいものを食べて過ごす。休暇中だからと言って、「脳が退化しないように」自分を培うことは怠らない。今年の夏は、思い切ってゴルフに挑戦したのだとか。バカンス期以外の日常の中でも、定期的にジムに通い、ヨガを実践。時間を見つけては、オペラ鑑賞を楽しむ。日々の努力、そしてアンテナを張り続けることによって見出す「自分の可能性」。

 自分自身を培う努力と、高い意識。それらすべてが結晶化されたように、平川さんの洗練された佇まいに表れている。彼女の動作は、指先一つの動きもがまるで舞のように美しく、思わず目が釘付けになってしまうのだ。

 

 

 

リーブ・ゴーシュに惹かれて

 

  初めてパリを訪れた高校生の時、何の意識もせずに初めて入ったのが、パリ左岸を象徴する老舗「カフェ・フロール」。「(高校生の予算では)目が飛び出るほど高かったけれど、ここでサルトルとボヴォワールが会っていたんだ、って知った時には胸がどきどきした」と、左岸への思い入れは、渡仏を決める前から無意識にあったのかもしれない。

 1994年、パリで初めて借りたのも、その後住んだ歴代のアパートも、ほとんどが左岸。一度だけ右岸に移ったこともあったが、「断腸の思いだった」と笑う。

 そんな、彼女とゆかりのあるリーブ・ゴーシュで、自分の店を持つことになったのは、ただ「土地勘」があるからだけではなく、「外国人」として、やはりリーブ・ゴーシュに秘められた「MYTHE」(神話)的なものに、惹かれるのではないか、と分析する。

 日々の買い出しも、外食も、「近所で済ませてしまう」という平川さん。たまに右岸に「遠征」することもあるけれど、「ほっとする」のはやはり左岸。洗練され、かつ進歩的な彼女は、リーブ・ゴーシュのエスプリ、そのものなのかもしれない。

 

------------------------------------------------------------

 

 

平川麻理子さんが経営する癒しの空間

 

 

アッサ・スパ

 ASSA SPA

8 Rue Christine, 75006 Paris

Téléphone : 01 46 34 59 08

営業時間 火-日 11時-20時(日曜は12時から)

月曜定休日

要予約

http://www.assa-spa.fr/

 

 

アッサ・カフェ

ASSA CAFE

 

(2018年2月上句開店予定)

 

47 quai des Grands Augustins 75006 Paris

www.assacafe.com

 

 

------------------------------------------------------------

 

 

 

平川麻理子さんご用達の店

 

 

ラスパイユ通りのビオ・マルシェ

Le Marché bio du boulevard Raspail

 

「近所」のマルシェは、今ではすっかり定着したビオ専門。

Boulevard Raspail, 75006 Paris

(rue du Cherche Midi とrue de Rennesの間)

営業時間 日曜日のみ 9時-15時

メトロ:Rennes/Sèvres-Babylone

 

 

 

カサ・ビーニ

CASA BINI

 

こちらも「近所」のご用達のイタリアン・レストラン。映画館が多くあるオデオン界隈で、映画鑑賞後によく使うのだとか。スタッフもとても親切で、パスタも美味しい。

 

36 Rue Grégoire de Tours75006 Paris

01 46 34 05 60

営業時間 月-日 12時半-14時半 19時半-23時

無休

http://casabini.fr/fr/

 

 

 

 

Remerciements: 

Mariko Hirakawa, ASSA SPA

 

 

 

 

 

 

Share on Facebook
Share on Twitter
Please reload

稲沢貴雄(料理人/「CUISINE」共宰)

ChibiRu(手ヅクリ家)

加藤亨延(記者)

1/10
Please reload