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関口涼子(作家/翻訳家)


Ryoko Sekiguchi (せきぐちりょうこ)東京都生まれ。早稲田大学卒。東京大学総合文化研究科比較文学比較文化専攻修士課程修了。1989年、第26回現代詩手帖賞受賞。1997年、渡仏。自作のフランス語訳や日本文学書、漫画の仏訳を刊行。2012年フランス政府から芸術文化勲章シュヴァリエを受章。

 

書き、読み、訳し、暮らしながら、

大人になっても夢中になれることを発見

 関口涼子さんの書斎は、本で溢れている。彼女が綴った詩集、書籍、翻訳を手掛けた漫画の原作はもちろんのこと、好きな作家や興味のある題材のもの、話題のものやそうでないものもが、至る所に並べられ、積み上げられている。大人になっても夢中になれる自分を発見した彼女は、この空間を拠点に、留まることなく、活動の場を増殖し続けている。

20年前、パリで暮らすようになった頃

大いなる「なんでもあり」

 「はぁっっ!!!」

 それは、1989年夏、関口涼子さんが初めてパリに訪れた際に思わず発した言葉。

 大学在学中、生きたフランス語を学ぶために訪れたパリ。そこにあったのは " le grand n’importe quoi " (ル・グラン・ナンポルト・クワ- 意訳すれば「大いなるなんでもあり」)な世界。夏真っ盛りだというのに、革ジャンを着ている人が当たり前のようにいたりと、周りの目を気にすることなく、そして誰かに迷惑をかけるでもなく、それぞれが好きな格好をして、好きなように、自由に生きている。「同じ大都市なのにどこが違うのだろう」。パリでは、同性愛者、目の不自由な人、物乞いの人…誰しもが、隠さず強調せず、ただ共存しているように見えた。

そういわれてみれば、私が生まれ育った街では、この人たちはどこにいるのだろう。現在では当たり前とも思える光景だが、80年代の東京では、彼らの姿が表に出ることは珍しかった。

幾度もパリを訪れ、時間をかけて考えていくうちに、「多様な人々が生きる自由さ」が見えてきた。それと同時に、日本にいるのが息苦しくなった。

フランスで本を出す

 母方の祖父が出版社を経営していたこともあり、幼い頃から常にいつも本を読んでいたという関口さん。高校生の頃から詩を書くようになり、18歳で新人賞を受賞する。日本で詩集を発表し、その後大学院の博士課程で3年間の奨学金を受け、パリで暮らすようになってからも、定期的に日本から仕事依頼があったため、執筆活動は続けていた。


大御所の作家たちとは、今でもFAXでやり取りをすることも

ソルボンヌ大学美術史科で「アルジェリアの現代美術」を研究し、かつてのフランス領だった、アルジェリアというアラブ文化の国、そして極東の島国・日本が西洋文化を取り入れていった過程を比較していく上で、日本とフランスの関係性、そして相対性についても考えを深めていった。その背景の中、フランス人の友人の手を借りて、自身の詩の仏訳に着手する。これが「思いがけずぽんぽーんと」雑誌に掲載されることとなった。在仏二年目には、今度は詩集一冊分を仏訳し、「ポストでぽーん」と好きな出版社に送ってみると、連絡があり、呼び出された。


「本を出しませんか?」。


 関口さんの作品が、フランスの書店に並んだ。


フランスで発表された、関口さんの作品たち(フランス語で書かれたもの/日本語のものを自身が翻訳したもの)。その他ヨーロッパ各国の言語でも翻訳されている。


自由に書く喜び

 思いがけないスピードでの、フランスでの作家/翻訳家デビュー。日本でもフランスでも、作品が世に出たのが早かったためか、「いつも読者がいるもんだ」と思いながら、執筆活動を続けていたが、フランス滞在期間が終わりに近づくにつれ、焦りを感じるようになる。正直、この先日本で作家活動を続けていくことには懐疑的だったという彼女。作品は、行組まで考えつくされ、遊び心満載。しかし、日本現代詩界では「抽象的」と捉われ、「女はこういうものをかくべきではない」とみなされていたのだという。

 そんなプレッシャーから解放されたフランスで、自分の好きなことを、自由に書く喜びを知った。このままパリで暮らし続けたい、好きなことをし続けたい。でもどうやって生活していけばよいのだろう… 悩みぬいた末、そのままフランスに居続けることを選択した関口さんは、作家・翻訳家の活動を続けながらも、財団から奨学金を受け、そして後にはフリーランスとして、アーティストとのコラボ作品を共同制作するなど、次々と新しい分野を開拓し、活動の場を広げていく。

無駄なことなんかない

 2003年からは、日本の漫画の翻訳家としても活躍することとなった。中学生の頃から少女・少年・青年とあらゆるジャンルの漫画を読み漁り、母親からは「そんなの、何の役にも立たないわよ」と言われていたが、その「趣味」が彼女のフランスでの居場所を確実にしたのは、紛れもない事実だ。

 日本のサブカルチャー人気に火が付いた当時、文学書はもちろんのこと、漫画の翻訳の需要も急増した。しかし、言葉やあらすじを重視する伝統的な翻訳と、コマ内の間や空気なども読む必要のあるため、マンガ読みとしての「経験値」もが求められる漫画翻訳には、実は溝があった。翻訳家としての実績もある、筋金入りの漫画読み、両方をこなせる関口さんは重宝され、「これどうだろう?」と意見を求められる漫画の下読みや感想文を提出したり、時には「面白いですよ」と推薦したりと、数多くの漫画のフランス進出に貢献した。

ガリマール社私宅にて、ヤマザキマリさん、とり・みきさんと、共同翻訳者のウラジミー ル・ラバエールさんと

 また、2004年から(2010年まで)は、パリのフランス国立東洋言語文化研究所で、日本語の教師として教鞭をとった。方言を教えたり、討論などの時間を設けたりと、「かなりぶっ飛んでいたのではないか」と笑いながら思い返す関口さん。しかし、受け身に文法や単語を学ぶのではなく、生きた言葉を、それぞれの方法で伝える術を身につけるための新たな手法として、学生には好評だったのだとか。

本棚は、漫画原作、翻訳を手掛けた仏語版なども含め、びっしり

増殖する活動

 近年では、「味覚」「食べ物」「料理」「食文化」「食事」と、「食」に関わる活動にも意欲的に取り組んでいる。

 大学でフランス語を選択した動機の一つが、「フランスは食べ物が美味しそうだから」という食いしん坊な彼女だが、母親が料理教室を主宰していたため、そもそも幼い頃から「食」に触れる機会が多かったのだとか。現在では、その「食」と「テキスト」を重ね合わせた、関口さん独自の「食観」が、様々な媒体で紹介されている。


あいちトリエンナーレのパフォーマンス「味のパレット」



 イタリア・ローマのヴィラ・メディチ(フランス国家が支援する、大変名誉あるアーティスト・イン・レジダンス)に招聘された際には、彼女のふとした発言がきっかけとなり、「亡霊のための晩餐」なるものが企画された。彼女が提案した「味覚という要素を取り入れたアート」は、「おもしろい」とあいちトリエンナーレに共同出展。今年末、メッツ市・ポンピドゥーセンターでは、「湿度が変わるとテーマが変わる」インスタレーションが発表される。某高級ホテルチェーンに依頼され行なった、「和食が世界に与えたつながり」というレクチャーを傾聴していた三ツ星シェフには、レストランのリニューアルに向けての会議に参加してほしい、と頼まれた。その際におご馳走になった料理の感想文を提出すると、「この先も是非続けてほしい」とお願いされたり… と思いがけない形で、彼女の活動範囲はどんどん広がっている。


ピエール・ガニエールと、ラジオ、フランス・キュルチュールの録音のために、スタジオにて



 意図したわけではなく、誰かに「ぽーん」と投げられるテーマと向き合い、考え、そして生み出す。「自分でも想像できないようなことが、ぽーんと思いついたり」、誰も想像しなかったような仕事が創造されていく。そして新たな繋がりができ、更に増殖していく。新しいことを始めることに対して、「まずはやってみよう」と飛び込んでみるのは、「とてもフランス的だと思うんです」。



ヴェネチア、Palazzo Grassiでの香りのワークショップ、2017年



大胆な街、パリ


 フランスで暮らすようになり、いつしか20年もの時が経っていたという関口さんの目に、面影を残しつつも、時代の流れと共に変貌していったパリの風景は、どのように映っているのだろうか。「古き良きパリ、を懐かしむ人、その変わり様を嘆く人は多くいるけれど、パリが変わった分だけ自分も変わっているのではないでしょうか。「あの時は良かった」と感じてしまうことはあるかもしれない。でもその分、パリも大人になったのかもしれない。自分にとっての良かった「あの時」は、誰かほかの人にとっては、既に過ぎ去った時間を感じさせる「今」、なのかもしれない」。


1998年、フランスに来て1年目、テヘランでのペルシャ語夏期講習、フランス人の友人と



 「自分の経験だけを起点にしない」ことで、様々な視点から物事を見つめ、考える。それは、祖国・日本を離れ、異国で暮らし、様々な文化の国々を旅し、人々と意見を交換し、母語ではない言葉で綴ることによって、自分の立ち位置を確認する作業を、無意識のうちに行うようになってきたからなのか。今のパリの姿は、時の経過の中で変化していくことを恐れずに、進化してきた証。景観を重んじ、「コンサバ」な街という印象は強いが、「パリは意外と大胆な街だと思う」と関口さん。「やると決めたら、そこまでやるの?と思ってしまうようなすごいことをしてしまう。それはある意味、「野次馬根性」なんだと思うんです」と面白そうに笑う。


パリ日本文化会館にて、パトリック・シャモワゾーの邦訳を共同翻訳者、パトリック・オノレさんと読む

「外国人」にもチャンスを与えてくれる


 関口さんがフランスで作家活動を始めた当初、「日本人ならでは」と評されたことはあったけれど、意識的に触れないようにすると、そういった指摘もされないようになった。リラックスして、自由に自分を培ううちに、「「日本人」ではなく「関口涼子」として存在することができた」と懐かしむ。フランス人は「外国人が作るもの」、「外国人が書くフランス語」を拒否しない。自分たちの持ってない良いものが他所にあるのなら、どんどん取り入れていけばいいじゃないか、という「お家芸」的な好奇心があるからでは、と指摘する。

 言われてみれば、建築の国家レベルの大プロジェクトでも、自国の人間を贔屓するのではなく、案さえ認められれば、他国籍の人間にもチャンスを与えているし、日本人シェフの活躍が著しい料理界でも、「美味しいのだからそれで良し」と、素直に認めている。自国の文化を発展させていくためには、外からの人間の力も必要なのは、移民大国として、実証済みだ。また、様々な才能を受け入れることによって未来の可能性を切り開く、サバイバル精神でもあるのかもしれない。


地方のメディアテークにて、自家製の燻製卵を配っているところ

大人になっても熱中できる


 色々なことをやっていると、どこに行っても外様なのだが、「実はそんな立場がとても気に入っている」と関口さん。それは、何においても、距離を置いてみることができるから。その距離の取り方をも、学ばせてもらえるから。外国人としてフランスに住んでいる時点で、「私はこうもりなのだから」。

 無駄にならないよう、好きなことが繋がっていくように、増殖してきた彼女のモットーは、「二つ以上のことがらや人の間を行き来すること自体を仕事にする」。「大人になっても熱中できること」を次々と発見し、「あぁ、こんなことも好きだったんだ」と気付く度に、自由に自分の声を聴くことができる環境をありがたく感じる。「野次馬根性」なフランスが、「自分が考えてもみなかったことを求め、まずはやってみろ」と背中を押してくれる。

 「大人しく、きちんとしていなくたっていい。面白いことを見つけたら、そこからまた広げていけばいい」。


 常に自由に、そしておおらかに、増殖活動を続けている関口さんが唯一、読むことをやめ、書くことを中断するのは、自宅で料理をするときなのだとか。「キッチンにはレシピ本しか持ち込まないようにしている」。・・・とは言うが、それでもきっと彼女は無意識のうちに触角を伸ばし、夢中になれる題材を探っているのだろう!


料理を読む

 「週二回は新しい店を開拓するようにしています。「食」に携わる物書きとして、研究のために、というのはもちろん建前としてあるけれど、18時以降はオフの時間と定めて、外に出て人に会って、一緒に美味しいものが食べたいから。作家ってとても孤独な作業が多いから、人に話さずに一日が終わってしまうこともあるんですよ」、と関口さん。

 外食するうちに、いつしか、「ただ食事しているのではなく、料理を読みに行っている、という、感覚」を持つようになったのだという。お皿の上に盛り付けされた料理を、素直に食べるのはもちろんだが、作り手の想いを汲みながら、その後ろに隠された意図を読み解こうとしてしまうのは、常に自身の考えや想いを込め、文章を綴っている関口さんの誠意の表れなのではないか。

「いいえ、これは勝負なのです」。

高いハードルに挑戦している料理人の、真剣勝負の一皿に対抗するための、彼女の最大の武器は、独自の読解力より生み出される「テキスト」なのだ。


ボタニークの山口杉朗シェフ、パッセリーニのジョヴァンニ・パッセリーニシェフと

関口涼子さんごご用達の店

レストラン・パッセリーニ

 関口さんおすすめのとっておきの店、パッセリーニ。「もしかしたらフランス人には好かれないかもしれない。それでも自分のルーツを探求し、イタリア料理の深さをもっとわかってほしい、というローマっ子シェフの潔さ、そして彼の心が表れる料理には、学ぶことが多い」のだとか。イタリアに行っても味わえないようなものがたくさんあり、羊に対しての愛着を教えてくれる。また、決して好んで食することのなかった臓物料理を美味しく堪能できるのも、ここなのだとか。

女性のソムリエの「彼女だけの言葉と表現で紡ぎだされる、物語のある説明」にもすっかりとりこになっている。

RESTAURANT PASSERINI

65, rue Traversière 75012 Paris

Tel : +33 (0)1 43 42 27 56

営業時間 12時半-14時15 19時半-23時 (火曜日のみ夜だけ)

日月定休日

メトロ Ledru Rollin

ボタニク・レストラン

 日本人シェフによる、フレンチの古典/伝統料理が味わえる店。昔通りでも、アレンジしているのではなく、より美しい、ある料理がこう『あるべき公式』を求めていく姿勢に共感するのだとか。こちらでも、煮込み料理、臓物料理を頼むことが多いのは、下準備の多い料理を「全て食べてあげる」ことこそが、外食の醍醐味だと痛感しているから。

一階はアラカルト、二階はコースメニュー、とTPOによって使い分けられる多様性もお気に入り要素の一つ。

BOTANIQUE RESTAURANT

71, rue de la Folie-Méricourt 75011 Paris

Tel : +33 (0) 1 47 00 27 80

営業時間 12時-15時 18時-23時 (昼営業は月火のみ)

日定休日

メトロ Oberkampf, Parmentier, République

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おしらせ

MENU FRETIN社より、

関口涼子さんが執筆された、

京都のグルメガイド

LE VOYAGEUR AFFAME - KYOTO

(フランス語のみ)

が出版されました。

詳しくはこちらから。

Remerciements:

Ryoko Sekiguchi, Restaurant Passerini, Restaurant Botanique

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