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中村 豪(ソムリエ/「MARGO」オーナー)


Go Nakamura (なかむらごう) 1979年岡山県生まれ。大阪育ち。数々の飲食店で勤務。2012年渡仏。パリで語学学校に通った後、2014年、ボルドーに渡り、ワイン学校でソムリエの国家資格を習得。2016年12月、パリ・オーベルカンフ界隈にワインバー、MARGOをオープン。

 

楽しく、面白く

人と人とをつなぐ店を、パリで

 2016年12月、パリ右岸の人気スポットオーベルカンフ界隈に、いつのまにか現れたワインバー、MARGO。在住4年にして、自身初の店をパリでオープンした中村豪さんは、気取りなく、人懐っこく、まるでずっと昔からパリを知り尽くしている住人のように、もてなし、そして時には客のように、一瞬一瞬を楽しんでいる。

人が生み出すものが好き

大阪の下町で育った中村さん。小学校の頃は、毎日のように塾に通い、とにかく勉強ばかりしていた。その甲斐あってか、無事に中学受験に成功。府内有数の進学校に入学する。しかし、受験勉強の反動からか、勉強に対して興味を失ってしまった彼が夢中になったのが、美術の世界だった。いずれは、自ら「アートをしたい」と考えるようになり、美術部に入部。美術系の高校を志望するが、成績は下がる一方の上に、生活態度も問題視されていた彼は、公立の美術系高校の進学を断念。そのまま同校の高等部を受験し、なんとかそのまま進学する。

 高校生になってからも、落第しない程度になんとか出席日数を保ちながら、芸大を志望し、美術の専門学校で毎日のようにデッサンを描いた。


 学校では教わることのできない教養を高めるためにも、読書に没頭したという中村さん。そのほとんどが、啓蒙的な書物ではなく、人が想像し、生み出す物語、小説だった。また、「中2病を患っていた」彼は、人とは違うことに憧れたり、どこか斜めから世界や人を見下していたのだという。ハリウッド映画よりも、ヌーヴェル・ヴァーグ。メジャーよりも、インディーズ。人気の作家よりも、一昔前の小説家を好んだ。

 アートや自身のデッサンなどでも特に好きな題材は、「自然」よりも「人為」。彼が惹かれるのは、人の手によって自然とできてしまうもの。「人」の気配や形跡のあるものだった。

旅で世界を広げる

 学校の勉強には興味が持てないままでいたが、社会科の先生の授業だけは面白かった。旅先で撮って帰ってきた写真を元に、スライドでその国々を紹介してくれていたというその先生の影響からか、旅行記も進んで読み、「海外を見てみたい」と思うように。アメリカにも有名な観光地にも興味を示さなかった中村さんは、先生に相談し、初めての海外旅行を計画。旅先をインドに定めた。旅費は、某外資系ホテルのイベントサービス係のアルバイトで稼いだ。時給がずば抜けて良かったというこの仕事が、彼と飲食業との出会いとなった。

 バックパックを担いでの貧乏旅行。ニューデリーの安宿で親しくなったのは、二人の日本人大学生。一人は絵を描き、もう一人は写真を撮りながら旅をしていた。そんな「かっこいい」彼らと「クリスマスにバラナシでの再会」を誓った。ガンジス河を毎日眺め、様々な生活の情景を見つめ、スケッチを描き、そして写真も撮るようになった。被写体は主に、旅先で出会う子供たちだったという。

 帰国後、両親が離婚することとなり、目指していた私立の美大を断念。家族の負担にならないためにも、家を出る決意をする。


飲食店を渡り歩く

 白黒写真を撮ることに熱中していた中村さんは、家賃一万八千円の一間の部屋を暗室に改造し、撮影、現像、そしてアルバイトという生活を始めた。インドでは、子供やお年寄りといった人物を主に撮っていたが、この頃には人ではなく、「人が作ったものが経年劣化した状態」の、アブストラクトな写真を撮り、合同展などにも参加するようになっていた。

 20歳を目前とする頃、インドからの帰国後も連絡を取り合っていた大学生二人から「家賃1万二千円の物件があるから、京都に来ないか」と誘われた。家賃は安くなったとはいえ、生活していくためには働かなければならない。アルバイトで、カフェ、バー、レストランといった、様々な形態の飲食店を渡り歩き、経験を積んだ。自由な時間には、ジャズ喫茶に入り浸り、読書に耽った。20代前半のこの頃は、勤務時間後から、翌日の仕事入りまで飲み歩く、と言う生活を続けていたという中村さん。次第に写真も撮らなくなり、「自分の中にもぐることができない」中、日々を忘れるため、酒に溺れる。実家との連絡も途絶え、酔っぱらって警察のお世話になった時初めて、失踪願いが出ていたことまで発覚したのだという。


人が好きだから、行きついた場所

そんな彼を「救った」のも、飲食業だった。人に接するサービス業とは、自分を外に向ける作業のことでもある。カウンター越しに様々な人と出会い、話を聞く。一人のお客様と対話をすることもあれば、たくさんの人と同時に会話することもある。自分の外の世界から入ってくる知らないことを吸収していくのが楽しく、人と人が繋がっていく様が面白かった。「人が好きだから、行きついた場所っだったんだな、って気づいたんです」。こうして自然と、「いつかは自分の店を持ちたい」と考えるようになった。

 2009年、30歳になったことを機に、(後の夫人となる)恋人と共に暮らすため、千葉県に引っ越す。そこでアルバイトをしながら、東京で店探しを始めた。


食事を楽しむ人々

 2011年、彼女と共にフランスを旅した。旅の目的の一つはもちろん、フランスの食文化、とりわけカフェ文化を観察するため。「フランスの印象は?」と尋ねると、「街並みはとても美しいと思いました。でもそれ以上に強烈だったのが、人々の食に対する姿勢ですね。食べている時間をとにかく楽しんでいる!という印象が強かった。食事の時間って、食べるだけのものではないんですね。日本には、壁に向かって食べるような店がいっぱいあるけれど、そうではなくて、人と人を繋ぐ場所なんだ、って改めて気づかせてもらえたと思います」。「面白そう」、「楽しそう」。彼が目標とする場を形容する要素が散りばめられていたフランスの飲食店を見つめるうちに、「ここで店を出したらきっと、絶対面白いんだろうな!」と痛感したのだという。

 また、日本でも日常的にサービスしていたワインも、フランスでは全く別物のように思えた。味や酒類の豊富さはもちろんだが、「ワインがメインなのではなく、やはり人がメイン」だということ。作り手の表情が垣間見える、そしてその気になれば、生産者にも会いに行ける。人と人とを繋ぐ、食事の花ともなる、本場フランスのワインの魅力に釘付けになった。


どこででも、やっていける


 帰国後も心を新たに物件探しを再開するが、ちょうどその年の3月11日、未曾有の災害が日本を襲う。大阪でも被災していた中村さんは、これからどうなるかわからない、という思いから、夢見ていた自身の店も「東京で、日本で探さなくてもいい」、とパリでの出店を真剣に考え始めた。

 一度しか行った事がない、自分には何のゆかりのない、頼りにできる人もなにもない場所かもしれないけれど、「がんばれば、きっとなんとかなる」と信じ、夫人と共に、渡仏の準備を開始。フランス語を特訓し、学生ビザを申請、2013年頭にフランスに降り立った。

 店を構えるのにまず必要なのは、コミュニケーションだと確信していた中村さんは、ここからまた1年半弱語学学校に通った。そして2014年秋、今度はボルドーに移り、ワイン学校に入学。ワインの歴史、知識、座学を学び、生産地の見学なども経験し、ソムリエの国家資格を習得した。「毎日がワクワクで、楽しかった!」と、清々しく語る中村さん。

 パリに戻り、「いざ!」自分の店を探し始めた。


ボルドー在学中には、星付きレストランでソムリエの研修も経験。


はじめての店を、パリで


 「ワインバーをやろう」、と3区、9区、11区、18区と、右岸の人気エリアを中心に精力的に物件を探した。未だ「着きたてほやほや」としか言いようのなかった中村さんには、パリに長年暮らしてやっと感じることのできる、その界隈の特性みたいなものを嗅ぎ分ける能力が既に備わっていたように思えてならない。今ではパリ有数のおしゃれな界隈と認識されてはいるが、当時はまだ「知る人ぞ知る」未開拓なエリアも、彼の「インディーズ好き」レーダーにはきっちりひっかかっていた。それはきっと、数々の店を渡り歩き、星の数ほどの人々との出会いから鍛え上げられた、「外の部分のものを取り入れる」能力の証ではないか。徐々に広がっていった交友関係から、必要な情報をキャッチしては、調べあげ、足を運び、検討した。

 こうして出会ったのが、パリ11区、若者に人気のオーベルカンフ界隈・目抜き通り沿いにある店舗。賃貸契約をするため、急遽会社を設立するが、仲介に入ってもらった人物の不手際などが相次ぎ、オープンは半年以上も伸びた。大変な損失を被ったが、それでも「自分ができること」だけでもひたすら進め、長年貯めた貯金をはたいて機材を購入し、工事も開始。友人などの「ご近所パワー」にも助けられ、2016年12月、念願のオープンを果たした。それが「MARGO」(マルゴ)だ。




居心地の良い場所


 「マルゴは、やっぱりボルドーワインの女王だから?」との質問に、「僕の犬の名前なんです」と中村さん。ボルドー在学中、夫人と相談して飼うことにした子犬に、近所のシャトー(ワインの産地)の名前から引用し、命名。フランスでは(人間にも!)人気の名前だ。

 ひっそりとした外装。「絶対条件」だった大きなカウンターに、ノスタルジックな模様のタイル。そして壁一面を覆う鎧戸には植物が部分的に設置されていて、まるで夜明け前のパリの風景だ。


コンセプトは「みんなが楽しめるお店」と、いたってシンプル。人がたくさん集まって、楽しく話をして、時間がたつのも忘れてしまうようなお店MARGOでは、試飲会や産地を巡り厳選したワインの中から、約20種類をもグラスからいただくことができる。「少人数のお客様にも楽しんでいただくためにも、ボトルオーダーだけではなくグラスでもの選択を充実して、色々試していただきたい」と、中村さん。各産地の特色があるものを用意し、ワインに詳しくないお客様にも分かりやすくお勧めすることによって、「好みを知ってもらうことができると思うんです」。オーダーされた料理との相性はもちろんのこと、会話をしながらお客様の気分や好みを捉え、より美味しく、より楽しいひと時を過ごしていただくためのお手伝いをする中村さんの周りは常に笑いに満ちている。


北村シェフと。

ワインバーだけど、タパスだけではなく、とびっきり美味しいお料理も提供したい、と考えたのも「お客様に楽しい時間を過ごしてもらいたい」という思いがあったから。中村さんがパリで初めて知り合った日本人実力派シェフ、北村啓太さんが(期間限定で)厨房に立ち、二人三脚で店を盛り上げてくれている。開店当初はスペインまで出向き、自腹でとびっきり美味しいハムを買い求め、スーツケースに詰め込み持ち帰り、お客様にふるまっていたのだとか。




テーブルが低いのは、お客様に落ち着いて長時間でも居てほしいから。既存していたカウンター、タイルや、家具も、使い勝手の良いように手は加えたが、基本はそのままの形で溶け込んでいる。通常の「飲み屋」は、回転を良くするため、またスペースを大きく使うため、あえて高いテーブルを設けているが、中村さんはそんな「経営者の都合」ではなく、お客様の居心地を優先的に考えた。

 その結果か、MARGOでは、忘れ物が異常に多く、翌日には「忘れ物確認電話がひっきりなしにかかってくるんです」と、嬉しそうに話す中村さん。そんな彼目当てに店を訪れるお客様も後を絶たない。

 「ひらめき」で、パリに出店することにした中村豪さん。彼の店MARGOは、開店僅か半年弱にもかかわらず、日本人の常連さんだけではなく、地元のフランス人や、通りがかりの観光客もがふらっと立ち寄る、人気店となった。常に「良い店」を作ることに情熱を捧げながらも、今まで「迷惑をかけてきたたくさんの方々」に感謝することを心がけているのだとか。店の中心にある大きなカウンターは、彼が学生の頃好んで撮っていた「経年劣化したマテリアル感」が心地が良く、人と人を繋ぐ「橋渡し」の役割を担っているようだ。

中村豪さんのワインバー

マルゴ

愛犬「マルゴ」から名前を拝借。様々なワインをグラスで堪能してもらえるように、20もの種類を厳選。持ち前のコミュニケーション能力とフットワークで、生産者から直に仕入れる本場ワインを胸を張って勧めてくれる。忘れ物には要注意!

愛犬マルゴー

MARGO

9 Rue Jean-Pierre Timbaud, 75011 Paris

+33(0)1 43 38 52 19

営業時間 19時-深夜

月曜定休

メトロ Oberkampf

楽しく過ごせる場所を開拓

 念願の自身の店を開店したてということもあり、多忙な日常を送る中村さんだが、休みの日には奥様と共に、「せっかくの休みなのだから、美味しいものを食べに行こう」と、美味しくて楽しい店を開拓するのを楽しみにしているのだという。パリ在住歴が比較的浅いにもかかわらず、持ち前の好奇心と、フットワークの軽さから、あらゆる場所に足を運んでいることもあって、美味しい店にはとても詳しい。また、同じ界隈で飲食店勤務、もしくは経営している仲間たちとも共に食事に行く。お互いが忙しくてなかなか叶わないが、それでもタイミングがあえば、「みんなが食べたいと思うところ」で、楽しい時間を過ごし、エネルギーを補充するのだ。


中村豪さんご用達の店

スシ・ベー

 お寿司が大の好物だという中村さんは、「美味しいわけがない」と、パリでは寿司は食べることはないと高を括っていた。しかしその考えは、初めてスシ・ベーで食事をした時、「パリでこのレベルの寿司が食べれるとは!」と見事に覆され、以来「(時間が許す限り)通って食べたい」と思うように。プライベートでも仲良しという花田シェフは、ミシュランで星を一つ獲得。MARGOでは、北村シェフとタッグを組んで、コラボディナーも展開し、人気を博した。

              ©SUSHI B

SUSHI B

5 rue Rameau, 75002 Paris

+33(0)1 40 26 52 87

営業時間 12時30-13時45 19時-23時30

火定休

Métro : Bourse

Remerciements:

Go Nakamura, Cocoro Nakamura, MARGO

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