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奥野衆英(マイマー)


奥野衆英(Shu Okuno)

1975年、東京生まれ。桜文月社主宰。2000年渡仏。パリ市立マルセル・マルソー国際マイム学院在学中に、パントマイムの巨匠マルセル・マルソーに師事。2007年、南仏アルビー市ヨーロッパ国際演劇祭「バイオリン弾きの娘と椅子の精(La violoniste et l’esprit de la chaise)」で、日本人初の最優秀作品賞と男優賞をW受賞する。マイム役者の他、演出家、脚本家、振付師と様々な顔を持つ。

 

感動を身体で伝える術を鍛えた無言の表現者

マイムとは、台詞ではなく身体や表情のみで表現する芝居。サーカスや街の広場などで繰り広げられる無言のパフォーマンスを、誰でも思い浮かべることができるだろう。ギリシャを発祥の地とするが、その後様々な変貌を遂げ、現在幅多く知られるようになったものは、フランスで形成された。感情を言葉ではなく動きで伝える表現力。時には、実際には存在しないのに、あたかもそこに「なにか」があるような、錯覚を起こさせる演技力が求められる。

その究極の芸能に惹かれた一人の理系日本人が、一流のマイマーになるべくしてパリに降り立った。


医学か、マイムか


奥野衆英さんが初めてマイムを目にしたのは、中学生の頃。テレビで流れていた、アメリカのマイム俳優ロバート・シールズの奇妙なパフォーマンスだった。その頃は、ただ「面白いな」と思っただけだったという。そして、その動きがマイムだと初めて認識したのは、数年後の大学生の頃。「パントマイムの神様」マルセル・マルソーの日本公演だった。

その頃の奥野さんは、一見マイムとは全く関係のないようにみえる、科学の世界にいた。世界の様々なことを理論で理解したいという欲に駆られて進んだ東京都立大学理学部では、自然が生み出す無機物や有機物と向き合う日々。大学卒業後には、医学の勉強をしたい、と漠然と考えていた。だが、知識が蓄積されていく充実感を実感する反面、いつかはそれらを応用していきたい、と感じるようにもなった。そんな時に出会ったのが、マルソーのパントマイムだった。身体とその動きや人の心を解析、そして解体していくその技法は、医学と同じような面白さがあり、観客に及ぼす影響は医学が人に施すホスピタリティーに似たものがある、と確信した。

かくしてマイムとの出会いは、知識を取り入れるインプットの態勢から、体内に凝縮するものを表現するアウトプットの形式への変換のきっかけとなった。


メトロ駅内の、劇場案内枠に自身の作品ポスターが貼り出された際には「フランスに来たばっかりの時に「僕の作品のポスターもいつかここに貼られる事があるのだろうか?」と思っていただけにとても嬉しかった。」

第一線で活躍する人から学ぶ


二年間だけ…と自分に課して、近代マイムの発展の地と言われるフランスに降り立った。どうせ人生の大きな転機となり得るリスクを背負うなら「一流のところに」、と目指したのは、あのマルセル・マルソーが教鞭をとっているというマイム専門学校。毎年25人の新入生しか受け入れないという狭い門をくぐった。

学校で教わるのは、マイムのやり方よりもむしろ、マルソー氏がマイマーになる前に学んだ、体の構造や美学を徹底的にスタディーする、ということだった。それは、エチエンヌ・ドクルーが提唱した、身体の深い理解こそが、より潜在的かつ人間的な演技に還ることができる方法だ、とするミーム・コーポレル・ドラマティックというものを柱として、クラッシックバレエや、実際の台詞がある演劇やアクロバット等、多岐に及んだ。それらの身体を使った表現の基礎を習得してはじめて、表現方法を開拓していく。身体を、感情を伝えるためのひとつのツールとして機能させるのだ。

 元々が勉強熱心な奥野さんは、休む暇なく猛特訓した。二年間という期間限定での海外経験、そのために犠牲にしたもの、もしくは保留にしたもの。時間がもったいなかった。

言葉の壁の向こうにある表現


初めてパリに来た日は体調が悪く、とあるカフェのカウンターで休憩することにした。すると、となりにいたおじさんが「具合が悪そうだからこのヨーグルトを食べなさい」と勧めてくれた。「そういう時にはこれが一番いいんだよ」と。気づいてみると、それらの「言葉」は一切発されてはおらず、すべてが身振り手振り、そして表情の変化のみでの「会話」だった。それでもそのおじさんの気持ちは奥野さんに伝わり、また感動をもたらした。フランス語がまだ話せない彼が、言葉ではない別の共通の方法の方がより正確に伝え得る事もある、と痛感した出来事だった。

 言葉を使ってコミュニケーションをとることができなかった学友たちも、努力によって異常なスピードで上達していく彼の技術に目をみはった。そしていつしか「マイムを教えてほしい」と頼むようになる。それまで演劇とはまるで関係のない世界にいた彼に、だ。それから、それぞれの時間が許す限り、例えば授業が始まる一時間前に教室に集まり、奥野さんがマイムの稽古をつけるようになった。言葉は一切使わず、身体の動きと表情だけで感情や状況を伝える術を、毎日反復するように。奥野さんが日常生活の中で抱く、小さな幸せを伝えることができる、そして学友たちのそれらも分けてもらえる喜びを実感できるようになっていった。言葉の壁を越え、マイムがつないでくれた人間関係。友情が芽生え、気づけばフランス語も上達していた。



誰もかれもが役者に見える街


フランス人の生活には、テアトル(演劇)が浸透している。パリにはいたるところに様々なスタイルの劇場があり、定期的に観劇に行くことを楽しみにしているパリっ子は多い。また、小さい頃から演劇を一つのお稽古事として習う人も少なくない。演じるということ、演技をみるということが日々の生活の中に浸透しているのだ。「普通に生活しているだけなのにフランス人全員が、フランスという大きな舞台で演じているみたい。みんなが役者に見える」と奥野さんは言う。

思えば、始めは良いレベルのマイムの習得さえできれば正直どこでも良い、と思っていた。でも今となってみると、フランスで良かった、と思えるのは、そういったフランス人の演劇という芸能に対しての、「国民性的な」距離感があったからかもしれない。フランス人は表現を隠さない故、日常の中でも面白い場面に出くわすことが多々あるのだという。笑ってしまうような、泣けてくるような、人間の滑稽さが常に表面化している社会を観察するのが楽しくて、カフェでもついつい長居し、前の席に座っている人の言動に見入ってしまう。そして、それが自身のマイム作品の、最大のインスピレーション源になっている。

習い事ではなく、仕事にしたい


マイム学校では技術と表現方法を磨きあげ、難関を潜り抜けての卒業公演では、異例の全作品を発表する機会も得た。作品の評判は上々。すぐに再公演も決まったので、自身のカンパニー「桜文月社」(おうぶんげっしゃ)を立ち上げた。

 約束の二年という期限があっという間に訪れてしまったが、奥野さんにもう迷いはなかった。まだ始まったばかり。帰る気になんかなれない。学ぶことはした、インプットの作業はここまでで、これからがまたアウトプットのときだ。この社会の中で、今度は創造する側、アーチストとして力試しがしたい、という欲でいっぱいになった。

役者としてだけではなく、演劇の全体的な要素を理解するため、パリ大学にも通った。そこから、マイムというジャンルにとらわれることなく、自由な身体的表現による作品を数々作り出していく。

2007年、脚本、演出、美術も手掛けた主演作品「バイオリン弾きの娘と椅子の精」が、アルビー市ヨーロッパ国際演劇祭で、日本人初の最優秀作品賞と男優賞をW受賞する、という快挙を成し遂げる。マイム俳優としての演技力だけではなく、観客に感動を与える演出をいくつも施し、各国メディアからも絶賛された。


もっと観客の目に触れる機会を持ちたい、という原動力


 定期的に新作を作りあげ、様々な場面で発表し続ける。頭の中には常にアイデアがうずまく。その源は「普通に生活しているフランス人たち」だ。「体を動かしながら作り上げていく」ダンサーとは異なり、奥野さんはまず頭の中でイメージを湧きあがらせる。そして、実際体を動かして、確認していく。鏡に映る自分の動きは、より客観的に認識するための重要な作業だ。トレーニングは欠かさず、いつもまずはマイム学校で教わった基礎の動きを反復するところから始める。たくさん演じたい、もっと観客の目に触れる機会を持ち、多くの人に言葉では伝わらない大切な事を伝えたい、という奥野さんの純粋な原動力ゆえだ。

 毎夏南仏都市アヴィニョンで行われ、世界中から演劇関係者が集う、屈指の演劇の祭典「アヴィニョン・フェスティバル」にも、過去3回挑戦した。オフシアター(自主公演制)では、毎日1000近くの公演が繰り広げられる。そのうち、世に出るチャンスを掴むのはほんの一握り。祭典とは謳われるものの、それは大きなマーケット。そして戦場なのだ。初めて挑戦したのは、力試しをしたかったから。そこで、思いがけない反響があった。そして再度チャレンジした二度目、三度目。メディアにも注目され、確たる手応えを得た。また、「良い拍手」に包まれる、という快感も多々経験し、飛び込んでみて良かった、と確信する。


2016年4月、月灯りの移動劇場「はてしない物語」品川公演にて。撮影 大洞博靖


 2015年には、日本で「月灯りの移動劇場」プロジェクトの立ち上げにも参加。会社や病院の中庭、地方の小さな村の広場など、普段演劇を見る機会のないような場所に、突如舞台を作りあげる、というものだ。初公演は名古屋市の中川区で行われた。来年から本格的に始動するという。まさにフランスで体験した、生きた芸術や楽しみを身近な文化にして行く試みだ。

 パリのオペラ座・バレエ学校では、マイムが必須科目として組み込まれている。優れたダンサーとは豊かな表現力を持つべきだと考えられている故だ。奥野さんのもとには、講師として日本のダンサーの卵たちにも、「本場・フランスで培った技術や表現法」を教えてほしい、というお誘いが来ているという。

 かつて理学者を志した青年が、いつの間にかマイムの継承者として認められることとなった、その証ではないだろうか。

体作りは旬の食材で


マイムの動きは指先まで神経をとがらせ、体の一部一部にまで信号を送り、動きをコントロールするため、想像した以上に体力を使う。奥野さんは、体作りに直結する食には常に気をつけている。観客に自分の体を見せるというプロ意識から、より良い体の形を常に保ち続けるのが必要不可欠だからだ。しかし、パリにやってきた当初、ストイックにマイムだけを学び続ける事しか考えず、とにかく腹を満たすだけのための偏った食生活を一年近く続け、体調もしょっちゅう壊していたという。

そんな彼の食生活を劇的に変えたのが、後の夫人となる詩子(うたこ)さんとの出会いだった。音楽学生としてパリに留学していた彼女と一緒に暮らすようになり、食生活も改善。すこしずつだが体作りを意識できるようになった。それでも最初はお金も時間もなく、一日食費5ユーロで生活していたことも。大変だったけれど、それでもなんでも楽しかった、と笑顔で思い出す。

 2008年から(2016年まで)は、帰国するという夫妻に代わって下宿を切り盛りするよう依頼される。夕食が賄いとして含まれており、詩子さんは毎日3品、彩美しくバランスの良い食事を提供することに、常に頭を悩ませていたという。入居者には「何らかのスペシャリスト」の卵が数多くいた。中には料理人、パティシエ、ソムリエ、など飲料関係の若者も多くいたため、教わることも多々あったそう。彼らを通してフランスの食文化の奥の深さを知り、生産地などを巡る旅行の楽しみ方も覚えた。



マイムの訓練を続けていくうちに、自分の体を深く理解するようになり、何を必要としているのかがわかるようになった。大切なのは、筋肉の元となるたんぱく質、そして新鮮な旬の野菜と果物だ。詩子さんが作る料理の食材は、毎日近くのマルシェで調達されてくる。店頭に並んでいる、一番新鮮で旬なものを吸収することで、体も自然のリズムと同調させるのだ。そこには、少年時代を長野の大自然の中で過ごした奥野さんのこだわりがあった。

奥野衆英さんご用達の店


満足度の高いビストロを開拓するのが楽しみ、という奥野さん。

外食するのは「賄いの定休日」であった、日曜の夜が多いのだそう。



ル・メスチュレ

おばあちゃんごはん(Plat de Grand-Mère)という、フランスの伝統料理が美味しくて通う年中無休のレストラン。

はずれがないので、重宝しているそう。

Le Mesturet

77 Rue de Richelieu, 75002 Paris

01 42 97 40 68

営業時間 12時-23時

無休





サン・ドニ・プリムール

奥野さんが「神八百屋」と命名した八百屋さん。そこに行けばマルシェ要らずと地元では言われている程の八百屋さんは回転も速く常に新鮮。フランスの伝統料理ではまだまだ馴染みの薄い大根、白菜なども含めて、彩り豊かな朝取りの野菜が豊富に並ぶが、下町ということもあってお値段も安いのが嬉しい。夕飯のメニューを決めて行っても、旬の生きのいい野菜をみて急遽変更することも多いので、困ったときはここに行ってから献立を決めるとか。


Saint Denis Primeurs

29 rue du Faubourg Saint-Denis

75010 Paris

営業時間 火曜日-土曜日 9h-20h /日曜日 9h-13h

月曜定休


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お知らせ

奥野衆英さんによる、マイム公演が日本で開催されます。

★奥野衆英マイムソロ公演「1m㎡」in 福岡★

日時:12月11日(日曜)

開場18:30 開演19:30

場所:キラキラカフェとねりこ

〒810-0042 福岡市中央区赤坂3丁目6-37

その他カフェとねりこの詳細は:http://www.cafe-tonerico.com/

★ワークショップ★

日時:12月10日(土曜) 14:00-17h30

場所:ヨカラボ

〒810-0073 福岡市中央区舞鶴1-1-1 小財ビル4F

定員 20名

料金 5.500円(税込)

お申し込みは

から担当者の森山までご連絡をお願い致します。

★藍野大学医学療法科特別講義★

日時:12月14日

一般参加不可、職業上興味のある方のみ要連絡


Remerciements:

Shu Okuno, Utaco Ichise-Okuno, Studio Bleu

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